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新弥のDAYS'
2007年05月09日更新奨学生への請求は?
<スポーツ奨学制度は厳しい運営を>
高校スポーツの奨学生制度が社会の注目を浴びている。
バレーボール、バスケットボール、サッカーなど、多くの高校が奨学生制度を適用して、よりよい人材をより効果的に教育・育成するための努力をしているのが現状だ。
高校野球の場合は歴史的な背景からこうした金銭補助の特別待遇を「しない」と宣言した経緯があり、そのような規約を残してきた。このため、今多くの学校が「規約違反」を問われる形になっている。
しかしスポーツに優れた人材をより高いレベルで育成するための奨学金制度自体を「悪」と決めつける人は存外に少ないかも知れない。
ただ、スポーツ科学の実践普及の専門家・比佐仁さんが指摘するように、奨学生制度には、入学金や授業料の補助以外の「特別待遇」が絡むことが多く、さまざまな問題点が浮かび上がっている。私学高で隆盛の「スポーツコース」もその1つだ。
スポーツで才能を開花させようとする生徒に「勉強は午前中だけでよい、あとは練習」という実業団のような待遇を与えること自体、「果たしてそれで高校スポーツと呼べるのか」といった、厳しい指摘をする人も少なくない。
奨学金制度はいいが、スポーツコースは高校スポーツとしては行きすぎである、という見方には賛成できる部分が多いが、現状では(逆は可でも)切り離しが容易ではない。
あくまで一般論だが、最大の問題は、こうしたシステムが選手(生徒)に要求するものが甘い点にあると筆者は感じている。
制度問題の専門家ではないし、また多くの人がそれぞれの意見を持っているはずで、「こうでなければならない」などと振りかざす気は毛頭ないが、特典を与える側は、それなりの見返りを請求する権利があるのは当然であり、また学校という存在は、その必要を地域や社会に対して負っているのではないだろうか。
「その請求権が破棄されているようにさえ見えるのが、高校スポーツの一部私学高などの現状だ。選手があまりにも甘やかされているのではないだろうか」といった話をうちうちでは聞く。
別に米国の真似をする必要はないが、米国では奨学金制度は大いに活用されている一方で、その運用は実に厳しい。奨学生として入学させても、1年ごとに学業成績とそのスポーツでの実際の活躍度を<学校側が>厳しく査定し、「C」平均以上の学業成績を残していない場合や、期待された活躍が出来ていない場合は、あっさりとそこで奨学金待遇を打ち切ってしまう。
A~Eの中での「C」平均以上の学業成績が求められるのだから(Eは赤点)、勉強も通常、いや練習・試合で時間を取られる分、普通の生徒以上の熱意で取り組む事が「請求」されている。
練習も週10時間以内。当然、効率的で科学的で、集中力に富んだ練習が選手にもコーチにも要求される。短時間で効率の上がるトレーニングシステム(機器、方法)も要求され、開発される。まさにNBAやNFL、大リーグのやり方だが、メジャースポーツの基盤がすでにこうした高校スポーツのシステムの中にできあがっていることにも、注目すべきかもしれない。
勉強はしなくてよい、好きなことだけやって才能を伸ばせばよい、などというほど、米国のスポーツは甘くない。高校生が勉強しなくてどうする、そんな半プロみたいな生活をする選手を、高校から育てたら、将来の米国社会はどうなる。そういう厳しい、けれどよく考えれば当たり前の常識も、スポーツ文化と背中合わせになっているのだ。むろん米国内でも別の意見を持つ人はいるが、「好きなことをやるならそれなりのこともやれ」というギブアンドテークの原則は、基本的に子どもに対しても貫かれているようだ。
その点で日本は、確かに生徒に甘い部分だけを導入しすぎているのかもしれない。実際には、(日本の)学校側も「特待生制度で採用したのはいいが、活躍もせず、困った選手群もいる。でも今更切れない。経費が増大して」困っているケースもあると、聞いたことがある。
野球の特待生制度が問題になっているが、スポーツコースの根元的な見直しを含めて、高校とは何か、教育とは何か、人格とは何か、教養とは何か、スポーツとは何かを、社会全体の視点から、長期的な視点から、考えてみる必要があるのだろう。
文部科学省の仕事でもある。
ちなみに大学を含めていえば、米国では奨学金制度の厳格な運用を重要視し、それに少しでも違反しようものなら、対外試合の複数年にわたる禁止など、驚くほど厳しい罰則を設け、実際にそれを運営している。試合に出られない選手がかわいそう、とは誰もいわない。選手が自分の意志でその学校を(もしくはそういう危険性をはらんだ学校を)選択したのだから仕方がないと、社会は見ている。
数年間の移行期間を設定した後で、日本もそうした厳しいルールを運用する日が来れば、今より部活動の時間は減ってもはるかに密度の高い、高校生らしいスポーツ活動が実現し、しかも対世界の意味でもより強い選手が生まれ育つかもしれない。
今のさまざまなシステムには素晴らしい面もあるが、現状のような「好きな分野での才能を伸ばす」ことにあまりにも直接的に環境を整えてしまう育成方法だと、せっかくの諸制度も、目に見えないマイナス面を抱えたままふくらんでいく不安を感じる。
むろん選手個々を含めて、どの個人をも責めるものではないのだが、才能を伸ばす基盤の部分を、教育の基本を、スポーツも大事にして欲しいと思う。
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- プロフィル
- 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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