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新弥のDAYS'
2007年08月14日更新赤目のC・ルイスを思い出す
<大阪世界陸上が間もなく開幕>
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大阪が招致した世界陸上選手権が8月25日に開幕する。
83年から始まったこのイベントは、91年第3回(東京)大会の後からは2年に1度の開催となった。
振り返れば、ここまでの歴史の中ではその東京大会こそ最も華やかで、強者がいかんなく実力を発揮した大会だったような気がする。大会の価値は、ずっと後になってみないと分からない。素晴らしい大会というのは、後になってくっきりと歴史の中に、人々の心の中に、抜きんでて浮かび上がるものだ。大阪大会も、そのような大会になってほしい。日本選手の躍動だけでなく、日本の陸上競技ファンの力が物を言うはずだ。
手元に「IAAF世界陸上2007大阪大会公式ガイド」(講談社MOOK、税別1500円)が届いた。
「スーパースター列伝」(船原勝英著)の項にはカール・ルイスや、棒高跳びのブブカ、東京でのルイスとの一騎打ちを制した走り幅跳びのパウエルらの興味深い話が紹介されている。
あえてモノクロ写真で編集された「過ぎ去った時代」は、おやじたちの年代から見るとむしろ逆に新鮮だ。
遠い昔の用にも感じられるし、つい数年前のような錯覚もある。
「その後」の世界陸上界にも華やかなスターが続出したが、東京大会の時代にはルイスやブブカといった絶対王者の輪郭があまりにも明快だった。
野球で言えば王、長島。いや赤バット青バットの時代にも今は感じられる。
スポーツにとっても、各種目にとっても「時代の波」があり、強者が出そろう時もあれば、王座を奪い合う若手の大会になることもある。
「今の世界最速選手は、えーっと」と、開幕前の今は「誰の大会」になるのかまだ輪郭が見えてこないのは当然だが、大阪なりの歴史がどのように創られ、ずっと後になってそれがどう評価されるのか、楽しみだ。
それにしてもルイスはすごかった。
83年の第1回大会では22歳で100m、走り幅跳び、400mリレーと3冠を達成。84年ロサンゼルス五輪でもスプリンターとして欲しい物をすべて手にした。
しかし91年大会では、すでに年齢限界に達し始めて、ナイター照明に浮かび上がったスタートラインのルイスの額には、白い物が輝いていた。
後輩のチームメート、バレルが好調で、ルイスの王座を危ぶむ声も多かったが、結局スタートから本来の自身のスタイル(45度で正確に出る)を守りきり、どの選手よりも遅れて最高速度に達し、最後の最後に挑戦者達を一気にかわしてゴールに飛び込んだ。9秒86。世界新記録だった。
そのルイスは、当日朝、目が真っ赤だった。トレーナーに聞くと「前夜ほとんど眠れず、体調はそこそこのレベル」。陸上競技をよく知る人は「バレルはルイスの敵ではない」ことをよく知っていた。持ちタイムではバレルが上だったが、「大事な大会にピークを合わせる」集中能力では、大きな差があった。それをルイスも知ってはいたが、やはり選手権の前は王者といえども落ち着かないものだった。
ルイスの走り方は自由奔放、アフリカ系米国人独特の大きな走りだと誤解されることが多いが、実際は精密機械のように正確で、奔放な動きはどこにも見られない「マシンの走法」だった。
それが一番明確だったのは皮肉にもパウエルに敗れた走り幅跳びで、後でビデオを含む全データを筑波大が研究したら、ルイスの1歩1歩の歩幅はほとんど変化がなく、それがファウルの少ない「(走り幅跳びでの)ルイス常勝の秘密」であることが分かった。
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パウエルの一発にやられた後、「やつは一発だ、たった一発だ」と、報道陣に指1本をかざしながら盛んにアピールしていた、醜さを通り越して哀れなほど悔しがったルイスの姿も、また記憶に残る場面ではある。
100mにおける王者ルイスの伝説はこの大会で幕を閉じるのだが、テレツ・コーチは後で「ルイスであれ誰であれ、私が教える理論はたった1つ。個性や都合によって教え方を変えることはあり得ない。人間が理論に自分を合わせるのだ。ルイスはそれを最も忠実にやった選手だ」と語った。
「海外のコーチは個性を重視して」といった勝手な神話があちこちで飛び交った、混乱の時代だったが(もしかして、今も?=笑い)理論より個性が重要ならコーチはいらない、選手が自分だけで強くなる。
今考えれば、ルイスの100m、もしくは走り幅跳びは、ともに「海外では」「米国では」の勝手な作り話や善意の誤解に強烈なくさびを入れた歴史の瞬間でもあったのだ。
それをどう感じ取れたかは、人それぞれではあるのだが。
日本勢で活躍したのはマラソンの谷口浩美(金)、女子マラソンの山下佐知子(銀)だった。2人とも、いかにマスコミが持ち上げようとしてもそういうことにはそっぽを向いて、最後まで100%競技に集中する選手だった。
スター扱いされたのは「その後」のことだが、いつも控えめだった。事前には絶対に自信めいた言葉を発しなかった。地味で、いかにも「試合に集中している」アスリートだった。
今大会の室伏広治にも共通する部分がある。「陸上をもっと世の中にアピールするために、などと言われて冬期五輪のボブスレーにまで挑戦した時期があったが、よく考えたらそんな時間を練習に当てて、五輪で金メダルを取った方がっずっとアピールになる。そう気がついたときから、僕は本当のスリートになれた」といった意味の話をしたことがある。
アテネ五輪で金メダル。北京前年だけに、今この時点で「最高の最高」の調子はむしろ出さないで欲しいところだが、どんなものだろう。
個人的には、そういう地味な「アスリート魂」に地味な選手に大いに活躍して欲しい。
参加選手全員が、自分本来の「内側」の力を、水があふれ出るように「外側」に発揮できるよう、祈ろうではないか。
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- プロフィル
- 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、61歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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