このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > スポーツ > 後藤新弥コラム「スポーツ&アドベンチャー」



後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年2月27日更新

チーム大村、糖尿病に屈せず世界挑む

4月エアロビック世界選手権、期待のユース王者ファミリー

 エアロビック競技の世界選手権「スズキワールドカップ2007」が4月14、15日に東京体育館で行われる。昨年のジャパンカップで優勝した大村詠一(21)智美(18)紗織(17)の兄妹トリオが一般の部に初挑戦、メダルが期待されている。コーチでもある母の利恵さん(45)にとっても、長い戦いの1つのゴールとなるはずだ。糖尿病の詠一君を支え、世界に導いてきた。強い母だ。利恵さんの物語におやじも勇気をもらった。



太ももに注射

強化合宿でも笑顔の絶えないTeam.OHMURA。左から智美さん、紗織さん、詠一君のトリオと利恵コーチ
強化合宿でも笑顔の絶えないTeam.OHMURA。左から智美さん、紗織さん、詠一君のトリオと利恵コーチ

 音楽が鳴り始めた。7メートル四方の枠の中で、3人がそろって宙に跳び、ダイナミックなステップを踏む。見る者ははっと息をのむ。乱れが全くない。1分45秒の試技を終えた時、アドバイザーの国際審判員たちは「悪いところがない」「後はいかにインパクトを強めるかだ」と苦笑した。兄妹は顔を見合わせて笑った。

 ワールドカップへ向けて、17日から20日まで東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで代表強化合宿が行われた。利恵さんはビデオを撮影しながら細かなメモを取っていた。鋭い、けれど限りない優しい視線だった。

 ベンチに戻ると、詠一君がインスリンのセットを取り出し、右の太ももに自分で注射した。笑いながら「1日4回。以前は空港で並んでいる時などに注射すると変な目で見られた。でも今は皆が理解してくれるので」。体内でインスリンを合成できない1型の糖尿病。8歳で発病した。



運命への反撃

練習の合間に詠一君がインスリンを注射した。1日4回、自分で注射する
練習の合間に詠一君がインスリンを注射した。1日4回、自分で注射する

 利恵さん 13年前の2月7日、8歳の誕生日なのに詠一は食欲が無く、ケーキを食べなかった。流感かなと翌日診察を受けたら即入院、糖尿病で治らないといわれた。頭の中が真っ白になって、以後約3年間の記憶がほとんどないほどだ。

 1万人に1人の突発性。遺伝ではないが、当時はまだ社会の理解は浅かった。利恵さんも「何かのバチだ」「食事が悪いせいだ」とささやかれたりした。

 利恵さん 初めは現実を受け入れることすらできなかった。教育入院で一緒に2カ月入院して他の患者さんの家族とも知り合い、それで少しずつ私も立ち直り始めた。どうせならと、エアロビックも続けさせることにした。どうせ人生は1回しかないのだからと。

 熊本県大津町。近くで姉の山本裕恵さん(51)がエアロビクスのスタジオを経営していた。結婚後、利恵さんもインストラクターとして手伝い始めた。詠一君も4歳から習っていた。

 利恵さん 小学4年の時に福岡のジュニア大会に初出場させた。鼻血は出す、低血糖で倒れるで散々(笑い)。ところが本人は最優秀賞を逃したと悔しがり「次は絶対勝つ、もっと練習する」。あんな負けず嫌いとは気が付かなかった。

 運命への反撃が始まった。それが逆に母と子の大きな支えとなった。



転機、出会い

「スズキ ジャパンカップ2006」で金メダル。次は世界だ
「スズキ ジャパンカップ2006」で金メダル。次は世界だ

 学校でも転機があった。初めは級友に「なぜ君だけ授業中にあめを食べていいの」と不審がられたが、5年の時に担任の提案で「糖尿病を知ってもらうため」の紙芝居を仲間と作った。「もう病気を隠そうとは思わなくなった」(本人)。

 利恵さん 運動してもよいという医師に出会ったのも幸運だった。もともとエアロビックが上手な子ではなく、踊っている最中によく倒れたが、本人は決して弱音を吐かなかった。

 競技としての発展時期とも重なった。02年には14~17歳の部が新設された。詠一君は初代のユース世界王者になった。翌年は妹2人とのトリオ部門でもユースの金メダルを獲得した。

 5年前、糖尿病で社会人チームに入団を断られた岩田稔投手と知り合った。詠一君は「エアロビックと糖尿病のおかげで今の僕がいる。病気のおかげでいろいろな人とも出会えた」と励ました。岩田投手は昨年希望枠で阪神に入団した。



もっと厳しく

母であり鬼コーチでもある利恵さん。視線にも厳しさと優しさが同居する
母であり鬼コーチでもある利恵さん。視線にも厳しさと優しさが同居する

 04年に利恵さんがスタジオを独立し「Team.OHMURA」を結成した。ご主人の悦哉さん(44)は農協勤務。詠一君は熊本大3年で、大学院に進んで物理学のカオス理論の研究をする。妹さんは熊本・尚絅高の3年と2年。ユース時代はそれぞれ実績があったが、17歳以上の「一般の部」にトリオで出場するのは兄妹にとって初の挑戦だ。

 利恵さん 私は礼儀作法にも口うるさい(笑い)。でも競技ではコーチが絶対、兄が絶対のせいか、私生活でもトラブルはほとんどない。1度だけ詠一が反抗的になったが、大会で5位に落ちて反省してくれた。

 「母にはもっと厳しく指導してほしい。もっと強くなりたいから」(詠一君)。「私も将来、あんな強い母になりたい」(智美さん)。紗織さんは笑ってばかりいたが、ほおに大きく「母さん大好き」。

 利恵さん つい先日の21歳の誕生日におめでとうメールを送ったら、返事が来た。「本当は死のうと思ったこともあったんだ。でも今は母さんに産んでもらってとても感謝している」と。わかってはいたが、そこまで苦しんだと本人から聞いたのは初めてだった。

 強いはずの母さんの目が赤かった。



 ◇エアロビック 67年にクーパー博士(米国)が健康と体力増進のために提唱した「エアロビクス」を競技化したもので、国際体操連盟の正式種目。採点制。日本でも84年に初の全国大会が行われ、92年に日本エアロビック連盟(電話:03・5435・8962 http://www.aerobic.or.jp)が設立された。



Thanks
 ご愛読に感謝申し上げます。すべてにご返信ができないため、整理の都合上、nikkansports.comの本欄、マスター及び筆者個人アドレスでは、コラム内容に関するご感想などのEメールは、現在すべて受付を中止しております。お詫び申し上げます。下記にご郵送ください。
 また、他ページ、フォーラムなどへの転載は、引用を含めて、お断りします。ご協力に感謝いたします。
 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
【 詳細プロフィルへ >> 】


このページの先頭へ


+ -->