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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年05月08日更新

形のないもう一つの金メダル

難民キャンプでバレー指導、白井貴子さんが得たもの

 女子バレーボールの五輪金メダリスト白井貴子さん(54)は勝っても泣かない、負けても泣かない人だった。その日本史上最強アタッカーが、ぼろぼろと涙を流して子どもたちとの別れを惜しんだ。4月6日から9日まで、NPO法人バレーボール・モントリオール会のメンバーとともにネパールのダマク難民キャンプを訪れ、男女約200人を直接指導してきた。スポーツの素晴らしさにあらためて感動したという。帰国したエースに会った。



血の通った夢もらえない子ら

白井さんは容赦なく日本語で叱咤(しった)した。金メダリストの情熱に、その時国境は消えた(山崎康司撮影)
白井さんは容赦なく日本語で叱咤(しった)した。金メダリストの情熱に、その時国境は消えた(山崎康司撮影)

 白井さん 「キャンプに入った時、いきなりわっと取り囲まれて大歓迎された。でも、今度は何をくれるの? 何を持ってきてくれたのと口々に聞かれて、はっとした。ああ、この子たちは物をもらうことに慣れ過ぎている。でも、血の通った夢をもらうことはなかったに違いない。自分たちが来たのは無駄ではなかったかもしれない、と」。

 ネパール東南部には、ネパール系ブータン難民10万7000人が生活する7つのキャンプがある。今世紀初めに多くのネパール人がブータンに移住したが、80年代後半から対立が深まり、祖国に追い戻されてきた人たちだ。ダマクもその1つ。白井さん、金坂克子さん(53)矢野広美さん(52)の金メダリスト3人を含む「難民キャンプ支援プロジェクト」16人が日本を出発したのは4月1日のことだった。

 白井さん 「初めは私たちも物の支援を考えた。ことの発端は知人から送られてきた1枚の写真。キャンプの子がはだしでサッカーをしていた。かわいそう、靴を送ってあげようよ、と。現地の国連難民高等弁務官事務所に問い合わせると、こっちに来て直接指導してくれないかという返事。えっ、日当もギャラもなしで? と(笑い)戸惑いもあったけれど、金メダリストに何ができるか、社会に対して何を返せるかをもう1度考えた時、やっぱりバレーボールそのものだよね、寄付だけなら他の人でもできると話し合った」。



目を輝かせ厳しさも喜んだ

難民キャンプの子供たちと交流を図る矢野さん
難民キャンプの子供たちと交流を図る矢野さん

 白井さんは76年モントリオール五輪で日本最後の金メダルを獲得し、2年後に引退。多彩な活動を展開しながら女子バレーボールの指導を続けてきた。昨年、当時の世界最強メンバーが30年ぶりに再会し、自治体や地域団体にスポーツの推進を働き掛けるNPOを当時の関係者とともに創立した。その最初の大きなプロジェクトともなった。早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンターの共催を得た。学生達も参加した。

 白井さん 「そうはいっても腰は痛いし、年齢特有の体調不良で(笑い)。本当に何かやれるのか、自信がなかった。そもそもバレーボールを知っているのかと。ところが現地入りすると翌日にはサッカー場に竹の支柱にネットを張った12面のコートが整備され、15歳から25歳までの男女約200人が集まって、ボールを奪い合うほどの熱気だった。初日は女子、2日目は男子を担当したが、はにかみ屋でスポーツのような活発な活動は苦手と聞いていた女子も、目を輝かせてソフトバレーボールに夢中になった。男子は驚くほどレベルが高く、日本語で厳しくコーチしても、意味はすぐに通じて、その厳しさを喜んでくれた」。

 キャンプの住居は屋根も壁も竹。くみ取り式のトイレ。食事は毎日カレー・ライス。白井さんも同じ物を食べ、そこで生活した。

 食糧や医療物資は豊富だった。けれど難民キャンプには未来への出口がなかった。閉ざされた社会、閉ざされた夢。そこに体当たりで持ち込んだ形のない支援。子らの目が輝いた。



別れに皆泣き、白井さんも泣いた

女子チームとの記念撮影。別れに皆が泣いた
女子チームとの記念撮影。別れに皆が泣いた

 白井さん 「もちろん日本からの心のこもった物資の支援に感激しているが、若者が若者らしい笑いや叫び声を上げて思い切り何かに夢中になる、こんな光景こそ切望していたのだと、国連の担当者に感謝された。私たちも必死だった。私自身男子をコーチするのは今回が初めてだったし気温38度湿度95%。頑張りすぎた支援スタッフが入院して点滴を受けたことも」。

 金メダリストがともにキャンプ生活をしながら泥にまみれて指導した例は世界でもまれだ。

 現地での詳細は同行したジャーナリスト奥本浩平氏がNPOバレーボール・モントリオール会のホームページ(http://montreal.sports.coocan.jp/index.html)に報告している。同ブログには矢野さんがこんなコメントを寄せている。

 「勝つためのバレーボールしか知らなかった私が、初めてバレーボールを楽しむことができた。楽しむことを教わった。そんな感動でいっぱいでした。厳しい条件の中で懸命に生きて、夢中になってボールを追い掛けている姿に涙が止まりませんでした」(要旨)。

 別れには男の子たちも泣いた。白井さんも泣いた。

 感動だけではない。

 白井さん 「実はネパールの地元の人とキャンプの人との間にも微妙で奥深い対立があり、死者が出る衝突があったばかり。ほとんど交流がなかった。ところがバレーボールを始めると地元側からリーグ戦参加の申し入れがあり、たとえいっときではあっても2つの社会が解け合った。形のない支援がいかに大きな、形のない貢献を果たすことが出来るのか身に染みた」。

 モントリオールの勝者が自分たちの手で獲得した、形のないもう1つの金メダルだった。

 全国のバレーボールチームやミズノ、モルテン、シャルレ、かめのり財団らの支援で実現した。同プロジェクトでは感謝を込めて、6月15日から7月13日まで東京・青山の国連大学ビル2階で写真展を、6月25日には同所で報告会を開く。



 ◆白井貴子(しらい・たかこ) 岡山県出身。石井中2年からバレーボール。片山女子高、倉紡倉敷で活躍、17歳で全日本に。73年に日立に入社、180センチのエースアタッカーとして74年世界選手権、76年モントリオール五輪で優勝。78年に引退。00年に殿堂入り。昨年からは地元の東京・杉並区で学校の部活動コーディネーターとしても活動中。



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 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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