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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年05月29日更新

来月取り壊し本社屋、お別れに上った下りた

頭に浮かぶは失敗談ばかり、屋上でツルッ、ああまた失敗だ~思いでもまた上り下りした・・・

 すてんと尻もちをついた。痛くはないが尻は垂直の壁面にあり、両足は真っすぐ天空を指している。地上30メートルの外壁で足が滑るとスリル満点だ。東京・築地の日刊スポーツ本社本館が建て替えのため、6月初めから取り壊される。70年の入社以来、思い出深い建物だ。ちょっと待て、外壁を上り下りして記念にしたい。総務局に掛け合った。尻もちも痛かった。ダクト伝いによじ登るのはきつかった。でも出世の階段を耐えに耐えて上るより、ずっと楽しい冒険だった。



61年に落成

最後が際どかった。ダクト伝いによじ上ったが吹き出し口が外向きだった。思い切って体を振った(遠藤大哉撮影)
最後が際どかった。ダクト伝いによじ上ったが吹き出し口が外向きだった。思い切って体を振った(遠藤大哉撮影)

 裏手に回ると大小のパイプが入り組んでいる。どこを伝っても泥棒上りができそうに見えた。

 この本館が落成したのは1961年。初のスポーツ娯楽紙として日刊スポーツが発刊されてから15年後のことだった。画期的な高速輪転機を地下に擁して、力道山や白井義男さんらが祝いに来てくれた。

 初めの4階建てからその後7階まで上に継ぎ足された。その分余計に空調装置や配水管が外に出ている。「公園のジャングルジム程度だ、簡単だ」。勝手に思い込む癖が、37年たってもまだ直っていなかった。

 適当なパイプに取り付いてみたら、太くてもただの塩ビ管で力を入れるとへこんだり、支持金具の掘り込みが浅くて壁からすぐ外れたり。上にいくほど見掛け倒しで、いざとなるとすぐ身をかわす。愛社精神に欠けている。ふざけやがって、このヤロウ!

 結局、一番上りにくそうな四角いエアダクトが一番信頼できそうだ。頼むぜ、おい。横から抱えるようにして上り始めた。約1メートルおきに接合部がある。幅約1センチの「のりしろ」の出っ張りに指を掛け、スニーカーのサイドを押し付けてはい上がる。



背広姿で

滑った。下りの出足で垂直の壁に尻もちをついた
滑った。下りの出足で垂直の壁に尻もちをついた

 汗が目に入る。相当の筋力勝負、鉄棒の懸垂に近い。腕と脚に乳酸がたまり始める。休まなくては。内勤時代は年に10日前後しか休まなかった。周囲に押されるように働いた。「それを思えば」としがみ付いたが、2階でもう落ちそうだ。

 落ちる? 新入社員と同じで無我夢中、目の前のことしか考えずに上っていた。それがふと現実に気が付いて全身が瞬間冷凍、固まった。靴裏が垂直の金属板を滑り始めた。だめか。

 「遊びのマナー」として不本意ながら事前に安全ロープを1本垂らしておいた。それにつかまれば墜落はないが、そもそもクライミングやビル工事の最新兵器をガチャガチャ使えば、冒険の難度は低い。

 そこをあえて道具を抑え「背広の忍者」気分で忍び込むのだと、ガイドラインを自分で決めた。上司の指示はしかとできても自分の決意は無視できない。さあどうする。苦悩惑乱の時、便所の横の窓が目に付いた。曇りガラスを手でふくと明日があった。窓が開いた。尻をずらして腰掛けた。ほっとひと息つくと懐かしさが込み上げた。



窓辺で一服

必死の形相。仕事もこのぐらい真剣にしていたら・・・
必死の形相。仕事もこのぐらい真剣にしていたら・・・

 入社後の配属は5階の校閲部だった。鉛の活字で紙面を組み上げる3階の組み版所まで、日に何十回も駆け足で往復した。つめの中までインクで真っ黒になった。3階の便所前にコーヒーの自販機があった。隠れるように一服するのが楽しみだった。そのオアシスがまさにこの窓辺。

 でも関八州見回りみたいな上司がいて、ある日とうとう見つかった。じろりと見られて震え上がった。もっともそういう厳しい人ほど実はフェアで、ダメ社員をかわいがってくれた。

 試験はすれすれ、補欠で合格した。初めてこの本館に来た日は、帰りに入社手続きの書類を電車の中に置き忘れた。スポーツ部に配属された時は、ムハマド・アリが食品チェーン店を経営するという外電を「鎖の専門店を出す」と訳して、食べ掛けの弁当をごみ箱に放り込まれた。

 不思議なことに、思い出の大半は失敗談だ。笑いや冷や汗とともに、それが建物のあちこちに染み付いている。ここが壊されれば、自分も何かを失うような気がしてならない。少しさみしい。こんなことならもっと働いて、心に残せる自慢話をキープしておくべきだった。後の祭りだ。



頂点征服!!

幅1センチの接合部が手掛かり足掛かり
幅1センチの接合部が手掛かり足掛かり

 外壁の上り下りは、入社時点から考えていたいたずらでもある。チャンスは2度とない。5階まで、一気に詰めた。そこで休んだ。6階で苦しくなったが、通信ケーブルが垂れていた。体重は預けられないが、バランスの手助けになった。

 最後は勇気が必要だった。ダクトは頑丈だったが屋上直下で半円状になり、しかもプイと外を向いていた。不器用だが絶対に人を裏切らない、でも気に入らないとフンと横を向く、あの元同僚を思い出す。思い切って腰を振って、屋上の手すりにすがるしかない。

 隣の新館から写していたカメラマンが、本館の屋上に移るから「まんまで」待てという。待つわ。しがみついたままはつらかった。

 1時間半で頂点征服、そのまま東の角から本社敷地内へ懸垂下降で下りることにした。日曜日の昼前でまだ同僚も出社前、通りに人も少なくて幸いだった。屋上から身を乗り出した瞬間に壁のペンキにツルリ滑ってあおむけになったのだ。

 予感があった。1週間前から「滑るかも」と眠れなかった。だから心の準備ができていた。慌てずにすんだ。憶病者にけがはない。今夜からは安眠できる。



30メートルの眺め

いかん、携帯を屋上に! また失敗だ
いかん、携帯を屋上に! また失敗だ

 上空30メートルの逆さの眺めは最高だった。<歌詞>見ろよ青い空。植木等さんの歌を歌った。2年後にはITビルに生まれ変わるのだ。スポーツの正義の砦(とりで)は永遠だ。

 いかん、失敗も永遠だ。屋上に携帯を忘れてきた。ダクトは危ない、エレベーターで取りに戻ろう。



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 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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