このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > スポーツ > 後藤新弥コラム「スポーツ&アドベンチャー」



後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年07月24日更新

逆境の大地、人間の土地

風間深志さん、ユーラシア大陸1万8000キロ横断中

 冒険家の風間深志さん(57)がユーラシア大陸1万8000キロを250CCのヤマハ製スクーター「マジェスティ」で横断中だ。パリダカ・ラリーで左脚に重傷を負ってから3年がたった。6月にウラジオストク(ロシア)を出発、今月10日には再起の鍵となった先端医療の本拠「クルガン・イリザロフ・センター」を訪問した。8月5日にポルトガル西端のロカ岬にゴールの予定。新たな冒険のようすを電話で聞いた。



親身になって

6月29日。アムール川の支流に沿って、シベリアの大地を走り続けた(荻田秀幸撮影)
6月29日。アムール川の支流に沿って、シベリアの大地を走り続けた(荻田秀幸撮影)

 風間さん「こんな夜更けに何しに来たのかと警戒されたが、ヘルメットを脱いで顔を見せたらおばさんの表情が一変した。『あんれま、親類じゃない』とでも言いたげににこやかになった。モンゴル系のブリヤート人だった。家に泊まりなさい、食事をしていきなさいと、親身になって世話してくれた。シベリアは厳しい自然に支配された広大な土地だけれど、なんて人間味にあふれた所だろうと、じんとした。ユーラシア大陸は人間の大地だった」。

 6月19日、ウラジオストクから旅は始まった。

 1日平均350キロ、当初は順調だったがシベリアの内陸部に入ると危険も多かった。6月末、田舎町に着くと土地のチンピラに脅迫され、真夜中の未舗装路をさらに100キロ走って逃げた。ガソリンスタンドの婦人が救ってくれたのはその時だった。

 風間さん「自然だけでなく、シベリアは政治的な意味でも厳しかったに違いない。だから小民族ほど結束が固く、僕らが知る国境線とは全く異なる区切りでそれぞれの世界を生きている。よるべき組織を失った白人には無気力さが目立つが、アジア系の人は貧しくても活力にあふれている。人間は強い。環境が厳しいほど、強く生きている」。

 逆境の大地、人間の土地。



「第2の故郷」

7月6日、イチゴ売りのおばさんの子どもと仲良しになった
7月6日、イチゴ売りのおばさんの子どもと仲良しになった

 風間さん自身、この旅は逆境への反撃だった。  一時は切断かと心配された左の下肢は杖(つえ)が必要なものの機能を回復しつつある。「旅に出たい。失った運動機能もあるが、いつまでも防御や忍耐の日を送りたくない。攻めて出たい」。冒険家としてのうずきが爆発しそうになった時、大陸横断を決意した。

 04年のパリダカでトラックと衝突。イリザロフ療法を受けた。

 風間さん「患部をリング型の創外固定具で固定し、回復とともに少しずつ骨と骨の間を伸ばすことで部位に新しい骨を生成するやり方だ。日本ではあまり普及していないために困難もあったが、帝京大学付属病院で適切なフォローを受け、奇跡的に脚を失わずに済んだ。ガブリエル・イリザロフ医師(1921~1992)がウラル山脈南東の町クルガンで開発した先端医療だ。その病院を訪ねるのがこの旅の目的の1つだった。僕にとっては、第2の人生の故郷なのだから」。

 クルガンはモスクワからはるか離れた辺境の地。イリザロフ医師は政治的な謀略から冷遇され、スポーツ界にとっても革命的な治療法は長い間正統な評価を受けなられかったという。



奇跡的な復活

7月10日。「第2の故郷」クルガン・イリザロフ・センターでシェフトフ所長と会った
7月10日。「第2の故郷」クルガン・イリザロフ・センターでシェフトフ所長と会った

 風間さん「ところがローマ五輪の銀に続いて東京でも金メダルを獲得した走り高跳びのワレリー・ブルメルが、翌65年に僕と同じバイク事故で重傷を負いながらもこの療法で奇跡的な復活を遂げた。そこから逆転が始まったそうだ。イリザロフとその療法は抵抗と忍耐と反骨のドラマだった。感慨深い話だった」。

 今月9日、クルガン入り。ウラジミール・シェフトフ所長(70)の案内で、収容1000人の武骨な造りの病院を見学した。

 風間さん「コンチキ号漂流記などで有名なイタリアの冒険家マオリもここで再起した。けれど決して有名人の相手の病院ではなく、地元の子どもやお年寄りを分け隔てなく治療していた。胸がいっぱいになった。僕も苦しかった、皆頑張れ! 心で叫んだ。自分にも新たな勇気がわいた」。

 世界保険機関(WHO)は01年に人間の運動能力にかかわる骨や筋肉、神経などの重要性を訴える「運動器の10年世界運動」を提唱した。風間さんは日本運営委員会(松下隆委員長=前国際イリザロフ研究会会長)から依頼され、この運動の親善大使も兼ねている。

 日本での治療を直接担当した竹中信之医師(45)もバイクで同行中だ。



最西端の夕日

これがイリザロフの固定器(04年7月撮影)
これがイリザロフの固定器(04年7月撮影)

 モスクワを抜け、21日、ウクライナの首都キエフを離れた。すでに1万1000キロを走った。

 風間さん「シベリアは大半が未舗装で、平均時速80キロだった。今は100キロ以上で走っている。走りだせば単調な旅なので、独り言を言う癖がついた(笑い)。都市部以外は制限速度はないし、燃費は上々、1リットルで30キロは走る。でもタイヤはすり減って四角くなってしまったので1度交換した。こちらでは戦後のバイクや車がまだ走っている。だから僕の新型スクーターを見るとすぐ人が集まってくる。バイク仲間に悪人はいない(笑い)。手まねで話し合う時が最高に楽しい」。

 ウクライナでは16日に列車事故があり、積んでいた有害物資が炎上して付近住民60余人が入院した。そこを通る。「ガスマスクが必要だと言われている。どうなるか、行ってみないと。でもこれが旅だからね」。携帯電話から元気な笑い声が聞こえていた。

 ユーラシア大陸最西端の夕日を確かめた後、8月8日に帰国する。



7月12日。ウラル山中、アジアとヨーロッパの境に着いた。左は同行の竹中医師
7月12日。ウラル山中、アジアとヨーロッパの境に着いた。左は同行の竹中医師

 ◇風間深志 山梨県出身。NPO地球元気村主宰。85年にオートバイでエベレストに挑み6000メートルに到達したほか、北極(87年)南極(92年)にも到達している。アサヒ・コム(http://www.asahi.com/car/fuma/index.html)で旅行記を連載中。



Thanks
 ご愛読に感謝申し上げます。すべてにご返信ができないため、整理の都合上、nikkansports.comの本欄、マスター及び筆者個人アドレスでは、コラム内容に関するご感想などのEメールは、現在すべて受付を中止しております。お詫び申し上げます。下記にご郵送ください。
 また、他ページ、フォーラムなどへの転載は、引用を含めて、お断りします。ご協力に感謝いたします。
 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
【 詳細プロフィルへ >> 】


このページの先頭へ


+ -->