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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年08月14日更新

土星の輪に乗ってバンクの風になった

競技用自転車に試乗、初めてのトラックレーサー体験

 雨が滝のようにバンクを流れ落ちてくる。それを斜めに横切って「もっと上へ、もっと上へ」とせき立てられた。無理だ、やめます! ブレーキを探した。ブレーキは付いていなかった。障害者世界自転車選手権(16日から、フランス)の日本代表合宿が静岡・修善寺の日本サイクルスポーツセンターで行われた。取材に行ったら、競技用車の試乗に誘われた。ついに「ピストの風」になる日が来たのだ、狂喜した。乗った途端に勇気がパンクした。



あり地獄の底

高橋仁さん(右)の先導でトラックレーサーに初挑戦。雨にぬれたバンクが土星の輪のように光っていた(日本サイクルスポーツセンター400メートルトラックで、西村裕次郎撮影)
高橋仁さん(右)の先導でトラックレーサーに初挑戦。雨にぬれたバンクが土星の輪のように光っていた(日本サイクルスポーツセンター400メートルトラックで、西村裕次郎撮影)

 400メートルトラックの底に立つと、まるでアリ地獄の穴に閉じ込められた感覚だ。曲走路の部分はコース幅も直線部分より大きく広がって、上空にせり上がっていく。雨が降り始め、競輪学校の練習生も引き揚げた。無人のバンクが土星の輪(わ)のように冷たく光っている。

 最大斜度31度、靴で歩いても滑り落ちそうだ。

 その中程、傾斜の最もきつい辺りを、モーターボートのような水しぶきを跳ね上げながら、試乗の手はずを整えてくれた日本代表選手(健常者)高橋仁さん(32)が疾走していく。

 おやじも必死でもがいて跡を追った。どこを走って良いか分からないから遅れたら一大事だ。脚を緩めたらスリップしそうだ。下まで滑り落ちるに違いない。

 遮二無二スピードを上げると黒い路面が目の前にぐんぐん押し寄せてくる。頭から壁の中にのめり込むような、強烈な圧迫感。

 高橋さんが振り向いた。「目の前の路面ではなく、進む先に目を向けて。もっと力を抜きましょう、肩が固定ギアになってます」。



空回りしない

トラックレーサーには変速機も、車輪を空転させるフリーも付いていない
トラックレーサーには変速機も、車輪を空転させるフリーも付いていない

 固定ギア。

 競輪でも使うトラックレーサー(競技車)は変速機なし。後輪の歯車が固定されている。通常の自転車のようには車輪が空転しないので、下りでも常に脚を回転し続ける。休めない。

 走り始めて小1時間。黒い壁にもようやく慣れたころ、高橋さんに絶壁バンクの最上部へ導かれた。失速しそうになりながら懸命に追い付くと「ここから直線路の最後まで見通すラインが最も速度が出て気持ちいいんです。快感ですよ」。



もう余力ない

最大斜度31度、滝のように流れ落ちる水をかき分ながら駆け降りた
最大斜度31度、滝のように流れ落ちる水をかき分ながら駆け降りた

 鵯越(ひよどりごえ)の逆落としのようなバンクを下り始めた。力を入れなくても脚が回る。初めは楽ちんだった。独特の人車一体感が新鮮だ。ところが速度が上がって回転力の限界に近づくと、突然怖くなる。マシンは加速を続けて老いた脚を強制回転、まるでシベリアの強制労働だ。1分間110回転超、歯車は前48後15だから時速45キロ前後だが、疲れた肉にはもう余力がない。

 「だめです、やめます」。悲鳴を上げた。思わずブレーキを探した。ばかだった。レースのサラブレッドにはブレーキが付いてないのだ。逆回転方向に力を加えることで減速できるが、雨では初心者には無理だ。



筋力と胆力と

上体を伏せる姿勢にまず戸惑った。左は高橋さん
上体を伏せる姿勢にまず戸惑った。左は高橋さん

 この日、初めはゆっくりと、底の白線に沿って数周した。上体をかぶせる姿勢が苦しくてサドルを1センチ低く、ハンドルを1センチ高く再調整してもらい、なんとか乗れた。

 固定ギア車を自作して秩父でSLと競走したことがあるが、やはりブレーキなしの競技車やバンク走りは予想以上に難しかった。試乗を終えても全身の筋肉がまだ震えていた。でも華やかさをあえて押し返したようなピュアな世界には、のぞき見ただけでも独特の興奮にあふれていた。筋力と胆力、バンクの一騎打ち。

 高橋さん「最近は市民のロードレースが人気だが、本当に自転車を極めるには正確な回転と体力が要求されるトラックで基本を体験するのが一番です。中野浩一さん(スプリント世界10連覇)のようにトラックなら日本も世界への可能性を十分持っている。最近はバンクを市民に開放する競輪場も少なくない。もっと身近な競技にぜひしたい」。

 帰り際、日本唯一の250メートルのトラックを見学した。ジェットコースターのように急角度でバンクがうねっていた。

 「世界ではこれが標準規格、しかも室内が多い。国内では屋外のここしかないので、合宿になると夢中で走ります」(高橋さん)。

 障害者の世界自転車選手権が間もなくボルドーで行われる。北京パラリンピックの出場権を懸けた大事な試合だ。日本は昨年も石井雅史選手がメダルを獲得。高橋さんが前、視覚障害のある大城竜之選手が後ろに乗ったタンデム部門ではロードで初の6位入賞を果たした。周囲の協力で代表合宿は8月3~6日の今回を含めて通算4回。雨の日は室内でローラー台や筋トレ調整で汗、全員一丸だ。



やれることを

世界大会の直前合宿、全員一丸だ。左が斑目監督
世界大会の直前合宿、全員一丸だ。左が斑目監督

 障害者競技はチームの団結とサポート態勢が決め手になる。自分の不運や不利な環境に不平を漏らす者は1人もいない。「今やれることを、やれるところまでやるだけです」(大城さん)。トラックレーサーのように純粋だ。とことんやれることが幸せだと言う。

 思わず泣けてきた。胸を打たれる横顔だった。



チーム・チェブロ所属の高橋仁さん
チーム・チェブロ所属の高橋仁さん

 ◇高橋仁(たかはし・ひとし) 千葉県出身。中大時代からトラック競技で活躍。99、00年のアジア選手権で銀メダル2個。現在は郵便関連機器のピツニーボウズジャパンに勤務しながら身障者競技を支援。個人でも05、06年と全日本のエリミネーション競技で連続優勝を果たした。チーム・チェブロ所属。



 ◇世界選手権代表 ▽チームリーダー栗原朗▽監督斑目秀雄▽コーチ市川雅敏▽メカニック鬼原積▽トレーナー=高橋太一▽選手=石井雅史、小川睦彦、大城竜之、高橋仁(パイロット)、古畑俊男、藤田征樹、佐久間明夫、奥村直彦◇日本障害者自転車協会(http://www.jcadweb.com)

 ◇日本サイクルスポーツセンター(電話)0558・79・0001(http://www.csc.or.jp)



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プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、60歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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