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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」

2007年10月30日更新

山岳耐久レース「ハセツネ杯」早川さん15回、全完走


スタイルは少し古くても、軽登山靴の1歩1歩にハセツネ精神が。入山峠の早川さん
スタイルは少し古くても、軽登山靴の1歩1歩にハセツネ精神が。入山峠の早川さん

 軽快なトレールランの服装が大半の中、早川恒雄さん(66)は登山靴に長ズボンだった。けれど歩みの着実さと不屈の精神にはかなう者がない。20、21日、制限時間24時間で奥多摩山域71・5キロを駆け抜ける「長谷川恒男杯 日本山岳耐久レース」が行われた。第1回以来出場を続けてきた早川さんは、この日も21時間51分05秒で15回目の完走を果たした。全回完走はわずか3人、鉄人の中の鉄人たちだ。その最年長者が早川さんだ。



いでたち古く

 スタート前、控えの五日市中体育館。早川さんは床に座り込み、楽しげにコロッケを食べていた。

 いでたちは古い。「きかんしゃトーマス」に出てくる時代遅れの路面機関車トビーを思い出す。山靴で参加する人はもうほとんどいない。筋肉サポートのスパッツが流行で、今となっては長ズボンも希少価値。

 7キロを超える荷物をリュックサックに詰め、さらに携帯電話、菓子で膨らんだ革製のポーチを腹に巻き付けた。軍手が手袋だ。

 「軽い方がいいことは分かる。私も4回目の時にランニングシューズに変えてみたが、たまたま大雨でスリップしっぱなしだった。やはり山ではしっかり足首を支えてくれる靴がいい。軽登山靴に戻したよ」。

 20日午後1時、2003人がスタートした。晴天で、ピッチが上がる。7キロ地点の入山峠では早くも「よろけて鉄塔に頭をぶつけた」と、血だらけになった人がいた。道が細く、渋滞が起きて、いらつく人もいた。その先の急な下りでは、皆が走りだした。早川さんも走った。



続けたリズム

20日午後1時。若い人に囲まれて五日市中の校庭をスタート
20日午後1時。若い人に囲まれて五日市中の校庭をスタート

 頑固一徹に我が道を押し通す、というのではない。皆が走れば自分もその波に自然体で同化する。コースが広くなれば、落ち着いて後続に道を譲って歩く。

 早川さん「私などは完走ではなく完歩が原則。2回目の大会で18時間をマークしたこともあるが、ガイドブックの標準タイム通りで歩き続ければ、ちょうど24時間でゴールできる設定になっている。完走術? 自分のペースを守るだけで、そんな上等なものは。私だって上りではついつられて焦ってしまうし」。

 通常、水は規定の2リットルを携行するが、早川さんは2・5リットルの水を持って出た。「昼間だけのレースじゃない。夜間走行では何が起きるか分からない。荷は重くても用心に越したことはない」。

 昔よりはパワーが落ちたと苦笑しながらも1歩1歩足場を確かめながら、けれど軽快なリズムで歩き続けた。15年間続けたリズム。歩くだけでなく、山を楽しみ続けてきた。

 スタート直後の今熊神社で首筋をハチに刺された。重大なトラブルだ。次第に筋肉が硬くなり、肩が重くなったが、しのぎきった。「一時は心配したよ」。まるで人ごとだ。



痛恨の第1回

普段も堅実な足運びがモットー。町田の「赤帽マルハヤ運送」経営
普段も堅実な足運びがモットー。町田の「赤帽マルハヤ運送」経営

 完走率は上がったが、レースは年々スピード化している。夜の第2関門。飛ばし過ぎで筋力を消耗したか、木の根につまずく選手が上位にも多かった。

 夜が明けてほぼ丸1日が経過した。疲れ切った表情の選手、あえてダッシュで飛び込んでくる選手。ゴールは感動の渦だった。

 早川さんは散歩から帰ったような表情だった。20時間が目標だったが、2時間遅れた。「三頭山と御前山の上りが苦しかった。2時間に1回、10分ほど休む予定だったが、1人だと集中力を欠くせいか、ついつい休みが長くなった」。

 岐阜県の付知生まれ。

 早川さん「山の出身だから、山歩きに特別の興味はなかった。東京へきてから人に誘われて丹沢近辺へ行くようになり、面白そうだからと第1回大会に挑戦した。ところがひざはがくがく、痛くて痛くて涙を流しながらゴールした。もうこりごりだと思った。それでも充実感が忘れられず翌年また出た。その繰り返し(笑い)。練習? 週1、2回、25キロを背負ってその辺を6キロほど歩く程度。仕事もあるからね」。

 東京・町田の「赤帽マルハヤ運送」。軽トラックで1日100キロを走る。



鉄人3人健在

翌日正午前、にこやかにゴール。森谷大会会長も祝福に駆け寄った
翌日正午前、にこやかにゴール。森谷大会会長も祝福に駆け寄った

 山を独占しない。未経験者をレースに誘い、励ましながら一緒に歩いたこともある。「連れが遅れがちで、危うく完走を逃しそうになったが、それもまた楽しみ方の1つ」。故長谷川恒男さんも初心者を連れて行くのが好きだった。ハセツネ精神、生きている。

 そういえば優勝した相馬選手はレース前「生き方が問われるレースだ」とブログに書いていた。レース後は着替えてからゴール横に立ち、21日午後1時まで、早川さんを含めた全後続選手にエールを送り続けていた。

 レース中転落死亡事故があった。前後を走っていた数人が自主的にレースを中断し救助活動に協力した。

 「優勝争いも大切だが、山岳耐久という本来の意味から、完走の価値を今後さらに重視したい」と、森谷重二朗大会会長(66=都岳連会長)。大会では通算10回完走した選手に「アドベンチャーグリーン」の称号を贈って表彰している。受賞者は90人を超えた。

 第1回から完全完走の青木俊之(41)も19時間で、星英雄さん(59)も22時間で今回も完走した。鉄人は3人とも健在だ。ハセツネ精神は、不屈で不滅だ。



ラスト7キロで突き放す

ゴール後2位奥宮選手(左)と激走を振り返る相馬選手
ゴール後2位奥宮選手(左)と激走を振り返る相馬選手

 <相馬が初優勝>前半は一昨年3位の奥宮俊祐(28)がリード。第2関門までに5分差をつけたが、大岳山の下りで相馬剛(33=海上保安庁)が追い付いた。しかし奥宮が逆にスパートをかけ、約10キロに及ぶ激しい競り合いが続いた。「ラスト7キロでようやく離したが、本当に苦しかった。その分、力を出し切れたのはうれしい」と8時03分38秒で優勝した相馬。8分03秒差で2位の奥宮も「限界のレースだった。負けたのに何かすがすがしい」と笑った。女子は間瀬ちがや(40)が総合37位の9時間41分20秒で最初にゴールした。

 2003人中1540人が完走(76・9%)した。



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 【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
プロフィル
後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、61歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
 本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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