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後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」
2007年12月13日更新木曽路で見つけた卓球のふる里
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| 鳥居峠の大鳥居。落ち葉が柔らかな布団のようだった |
古い街道筋を歩きたくなるのは距離だけでなく、時空間でも「知らない所へ行ってみたい」表れなのだろう。木曽路に出掛けた。
伝説の鳥居峠を越えて北上、塩尻まで晩秋の30キロを楽しんだ。感動の出会いもあった。峠を下りた奈良井宿の先に、山ひだを押しのけるようにして立派な室内卓球場が建っていた。故荻村伊智朗さんが卓球ニッポンの夢を託した「ナショナルトレーニングセンター」だった。
台から5メートル離れ
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| 「荻村さんはこうやって打ったんです」。百瀬さん(左)がラケットを振った。カーン! という音が響き渡った。遺影が見ていた(長谷川文撮影) |
「荻村さんは、こんなふうに打ち返したんです」。わざわざ案内に出向いてくれた地元、長野県塩尻市楢川体育協会の百瀬順次(ももせ・じゅんじ)会長(58)は台から5メートルも離れ、そこにしゃがんだ。握ったラケットを、腰を落としたまま大きく振った。
ラケットの先端が木の床を激しくたたいた。
カーン。
鋭い音が木曽特有の透明な冷気を震わせて、体育館の天井にこだました。
「この音ですよ。荻村さんの卓球はいつもカーンという音がしました。落ちかかった球も決してあきらめず、床すれすれに打つんです。台に接近してプレーするペンホルダーにもかかわらず、こんなに遠く離れ、しかもしゃがんで返すなど想像を超えた技でした。執念でした。外国人が面食らったのも道理です。荻村さんの華麗な速攻は伝説的でしたが、逆にこの守りこそが世界一の原点だったのかと、衝撃を受けました」。
百瀬さんは目を細め、無言で何度もラケットを振った。先端がまた激しく床を打ち、カーンという音が無限の時空に響き渡った。
歴史と小説舞台
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| 鳥居峠の旧道、熊よけの鐘があった。鳴らすとでかい音がした |
「歩いてみたい昔の街道」に中山道を挙げる人が多い。木曽には時代を超えたロマンがあるのだろうか。
おやじも碓氷峠や和田峠を徒歩や自転車でたどってきた。この春には伊那と木曽を結ぶ権兵衛峠を徒歩で探査した。点と線。塩尻と木曽の間を赤鉛筆で塗りたくなるのは自然な成り行きだ。権兵衛峠の西側、木祖村の薮原駅から歩き始めたのは、気温3度と冷え込んだ昼下がり。塩尻までは約30キロの道のりになる。
難所といわれた鳥居峠をまず越えた。遊歩道が整備され、明治の名残、馬車道も残されていた。落ち葉を踏んで小1時間、標高1197メートルの峠には、木曽義元が戦勝の礼に建てたという鳥居があった。
菊池寛の「恩讐の彼方に」の舞台の1つでもある。主人の愛人お弓と密通したことから、誤って主人中川三郎兵衛を切った市九郎が逃げてきたのがこの峠。お弓とともに茶屋を開き、めぼしい客を殺しては金品を奪って生計をたてていた。出家して了海を名乗り、罪滅ぼしに大分県耶馬渓で青の洞門を掘り通した感動のドラマは後の物語。
お弓のような悪い女は今もいる。気を付けよう、上司の女と敵討ち。
これぞ木曽天外
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| 卓球のナショナルトレーニングセンターとして建てられた体育館 |
「ナショナルトレーニングセンター」は峠を下った奈良井宿の先、旧楢川村(現木曽平沢)にあった。
この秋刊行されて評判になった荻村伊智朗伝、城島充著「ピンポンさん」(講談社)でセンターのことを知った。山奥にそんな施設があること自体不思議だった。百瀬さんに連絡した。
「荻村さんが初めて見えたのは82年。父素男さんがここ出身の漆師だったことから特別な思いもあったのでしょう、毎年見えるようになりました。私自身は名古屋の高校時代に卓球をやり、10人ほどでクラブをつくっていましたが、荻村さんはこんな田舎の人間とも真剣に打ち合って、子どもたちにも熱心にコーチしてくれました。真の強化には恒久的な代表合宿所が必要だ、ここにそれをつくろうと言われた時は驚きました」。
これぞ木曽天外! 斬新な構想だった。実行力の人でもあった。94年、本当に「卓球のふる里」が完成した。7月17日、開場式が行われた。12月4日、荻村氏死去の非報が届いた。
努力と粘りの人
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| 奈良井宿を北に抜けて、木曽平沢へ向かった |
夢は、託された。
自身も塗師の百瀬さんは言う。「天才とかアイデアマンと呼ばれた人ですが、根底の努力や粘りが印象的でした。若い人にそこを伝えたい。ここが、その発信基地になってくれれば」。
当初の計画の規模ではないが、今は「塩尻市楢川室内体育館」として利用され、この夏も代表合宿、10月には「楢川荻村杯オープン」第13回大会が行われた。
夢は、生きている。
辞して塩尻に向かって歩き始めたが、カーンと鋭い響きが、いつまでも耳の奥に残っていた。その音に耳を澄ませながら、飾り気のない木曽路を抜けた。とっぷりと暮れた中、勘を頼りに旧道を探っては、本山、洗馬(せば)といった古い町並みを幾つも抜けた。ガイドブックを無視した「おれ流」の旧道歩きだ。
だから失敗する。
速足なら1時間で5キロはいけるはずだが、塩尻手前で国道から離れ、つい畑の真ん中を近道した。そこで迷って、余計な時間を食った。足首の筋肉が硬直し、前に進まない。まあいい、最終で帰ればいいのだと気を大きく持った。
最終は午後8時10分、駅に着いたのが8時半。駄目だ、野宿だ。人生、「おれ流」と近道ほど怖い物はない。面白い物もない。
◆荻村伊智朗(おぎむら・いちろう) 静岡県出身、1932年(昭和7年)6月25日~94年12月4日。54年、56年の世界卓球選手権男子シングルスで優勝。ダブルス、混合、団体と合わせて金メダル12個。国際卓球連盟会長も務めた。
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【郵送宛先】 郵便番号104・8055 日刊スポーツ新聞社 編集局 後藤新弥
- プロフィル
- 後藤新弥(ごとう・しんや) 日刊スポーツ編集委員、61歳。ICU卒。記者時代は海外スポーツなどを担当。CS放送・朝日ニュースターでは「日刊ワイド・後藤新弥のスポーツ・online」(土曜深夜1時5分から1時間。日曜日の朝7時5分から再放送)なども。
本紙連載コラム「DAYS’」でミズノ・スポーツライター賞受賞。趣味はシー・カヤック、100メートル走など。なお、次ページにプロフィル詳細を掲載しました。
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