<F1:日本GP>◇決勝◇7日◇三重・鈴鹿サーキット

 ザウバーの小林可夢偉(26)が初めて表彰台に上った。3番手スタートの小林は、レース開始直後に2位に浮上。再び3位に順位を落としたが、最後はマクラーレンのバトン(英国)の猛追をかわして、母国で自己最高の3位に。90年日本GPの鈴木亜久里、04年米国GPの佐藤琢磨に次ぐ、日本人3人目の表彰台となった。レッドブルのフェテル(ドイツ)がポール・ツー・ウインで2戦連続今季3勝目、通算24勝目をマーク。2位には2年ぶり表彰台となるフェラーリのマッサ(ブラジル)が入った。

 鈴鹿サーキットに響き渡る「カムイ・コール」にうながされ、小林は表彰台に登場した。この日の主役は優勝したフェテルでも、2位マッサでもなく、まぎれもなく小林。表彰台へ上り、インタビュアー、ジャン・アレジ氏の質問に英語で答えた後、日本語で「みなさん、ありがとうございました!」と絶叫。すると地鳴りをともなった歓声が巻き起こった。9月に完成50年を迎えたサーキットの歴史に花を添える快挙を成し遂げた。

 「自分でも驚きですが、多分これは運命です。ここまで何度もチャンスがありながら、不運でそれがつかめなくて。でもこのレースでは表彰台が取れる運命なんじゃないかって」。小林がそう話す3位は、精神力で勝ち取った。小林は日本GPでの日本人最高となる3番手からレースを開始。スタートダッシュに成功して、いきなり2位に躍り出た。しかし1回目のピットストップのタイム差で再び3位に順位を落とすと、後は長く、厳しい戦いが待っていた。

 レース終盤は4位バトンに猛追された。着実にタイムを詰められ、最終53周目は、ピタリと背後につかれた。「ジェンソン(バトン)が速くて、抑えるのでいっぱい、いっぱいでした」。それでもわずかに0・5秒早くゴールイン。逆転は許さなかった。3位は日本GPでは90年の鈴木亜久里以来22年ぶり、F1全体では04年米国GPの佐藤琢磨に次ぐ快挙となった。

 小林は今季ここまで、第10戦のドイツGPで自己最高の4位に入ったが、それ以外の13戦中8戦でポイント圏外。避けようのないクラッシュに巻き込まれるなど不運もあったが、チームの仕事ぶりに不満を示すことも多かった。

 それでもこの日のレース後にはクルーにシャンパンをかけ、固く抱き合った。「今週、チームがしてくれた仕事は言葉に表せないくらい。展開が良ければ2位に入れたかも。良いポジションからスタートして、良いスタートを決められて、初めて表彰台を取れた。こういう展開が常に必要だと思います」。小林は感謝の気持ちを胸に、次戦韓国GP(14日決勝)での連続表彰台へ意気込んだ。(米家峰起通信員)<小林可夢偉(こばやし・かむい)アラカルト>

 ◆生まれ

 1986年(昭61)9月13日、兵庫県尼崎市出身

 ◆経歴

 9歳でカートを始め、01年にトヨタの育成プログラムTDP入り。欧州でユーロF3などに参戦。08年からトヨタの第3ドライバー。09年はGP2に参戦し、アジアシリーズで優勝。他のドライバーの負傷により、09年最終2戦でF1参戦機会を得て、最終戦で6位に入賞。トヨタの撤退で10年からザウバーに移籍

 ◆趣味

 アウトドア全般、スキューバダイビング

 ◆熱愛

 タレントあびる優との交際が伝えられている

 ◆お笑い

 同じ尼崎出身のお笑いコンビ・ダウンタウンのファン。テレビ番組で共演したことも

 ◆サイズ

 170センチ、63キロ

 ◆血液型

 AB