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5位フィニッシュした佐藤琢磨はクルーやファンの待つグランドスタンドに向けてダッシュ
5位フィニッシュした佐藤琢磨はクルーやファンの待つグランドスタンドに向けてダッシュ

 日本人ドライバーの活躍をやっと見られた…。F1ファンが待ち続けた喜び、感動、興奮を現実にしたグランプリ。それが、当時25歳の新人・佐藤琢磨が5位に入賞した02年日本GPだった。

 予選は自己最高の7番手。決勝は一時9位に落ちながらも、燃料を軽めにして追走。コーナーを曲がる時に必要なダウンフォース(空力でマシンを下向きに抑えつける力)を極力減らし、第1コーナーと130Rを時速約260キロのエンジン全開で走った。鈴鹿は、97年のレーシングスクール時代に走り込んだホームグラウンド。最速ラップを刻むライン取りや加速は、体が覚えていた。

 5位で自身初の入賞。チェッカーを受けると、15万5000人をのみ込んだスタンドが揺れた。「皆さんの応援のおかげです! ありがとうございました! 」とマイクを通じて叫んだ。

 直後、ファンの絶叫がメーンストレートを駆け抜け、地響きが起きた。

 日本人ドライバーのF1入賞は、97年ハンガリーGPの中野信治以来、5年ぶり。日本GPに限れば、90年の鈴木亜久里3位、中嶋悟6位以来、12年ぶりだった。98年以降は中野や高木虎之介の苦戦が続き、日本人ファンはミカ・ハッキネンとミハエル・シューマッハーのトップ争いに酔いしれるしかなかった。しかし本当に見たかったのは、日本人の活躍に違いない。それも佐藤が鈴鹿で実現したのだから、ファンが熱狂するのは当然だった。

 佐藤は会見で「泣かなかったですよ。まだまだこれからですから」と前を見据えた。その言葉通り、04年欧州GPで日本人最高の予選2位、同年米国GP決勝で日本人最高タイの3位で表彰台に上がった。10年以降は米国インディカー・シリーズに転向し、今年4月に日本人初優勝。36歳の現在も、歴史を塗り替えている。【 柴田寛人】

◆柴田寛人(しばた・ひろと)1967年(昭42)2月21日、東京生まれ。92年に日刊スポーツ新聞社入社。94年から外電翻訳で記者を始める。スポーツ部でサッカーや水泳、野球部で米大リーグを担当。盛岡支局、東北総局を経て、08年から文化社会部所属。


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