17歳になったばかりの全日本女王が、世界舞台で大躍進した。ショートプログラム(SP)3位の宮原知子(大阪・関大高)が、フリーでもほぼミスのない演技で126・58点。自己ベストを更新する合計193・60点とし銀メダルを獲得した。日本女子の初出場での表彰台は、07年大会2位の浅田真央以来2人目の快挙。恥ずかしがり屋の小さな新エースが大きく輝いた。本郷理華(18)が6位、村上佳菜子(20)は7位。日本女子は10大会連続で表彰台に上がり、来年大会の出場枠で最多「3」を守った。

 快挙が決まった瞬間も、宮原は宮原らしかった。上位3人が待機する控室が会場のモニターに映されると、1人だけ荷物を整理中。ロシア勢2人がカメラに笑顔を振りまくのとは対照的に、黙々と片付けをしていた。「全然メダルのことは考えていなくて…。でも、すごい自分の中ではうれしかったです」。大きな感情表現はなかったが、静かに喜びをかみしめていた。

 4歳でスケートを始めた時から、性格は変わらない。最初の発表会は、両親の仕事の関係で住んでいた米国。恥ずかしくリンク中央まで行けずに泣いた。「お母さんは『頑張ってね』と言って(外へ)戻ったら、私も一緒に戻った」。試合にも出られなかった。

 それから13年。リンク外ではシャイだが、リンクでは少しずつ、感情を出せるようになった。この日の舞台は世界一の「発表会」。148センチの体を目いっぱいに使い、ミュージカル「ミス・サイゴン」の悲恋を演じた。

 冒頭のルッツから始まる3連続ジャンプを高速回転で跳びきると、合掌した両手をくねらせ、表情を動かし、終盤へ。練習で培った体力は健在。最終盤に「絶対に跳べる」と自信の連続ジャンプを組み込んで点を稼ぎ、表彰台を射止めた。

 初出場でのメダルで、07年の浅田に続いた。3年前の全日本選手権は、演技順が浅田の1つ後。大量の花束が投げ入れられる中、リンクに滑り出した記憶がある。この日は、1つ前の演技順が地元の李子君。浜田コーチから「真央ちゃんの後を滑ったことを思い出して」と諭された。経験を生かし、花があふれ、滑る場所が限られるリンクでも焦らない心の余裕があった。

 16歳で全日本を制し、26日に17歳の誕生日を迎えた世界選手権で銀メダル。日本女子の新エースとして、堂々と世界に渡り合った。「これからが本当のスタート。長い道のりはあると思うが、もっと頑張っていきたい」。いつか、浅田のように大量の花束をもらえる選手になるために。【阿部健吾】

 ◆宮原知子(みやはら・さとこ)1998年(平10)3月26日、京都府生まれ。両親は医者で、4~7歳まで米ヒューストンで過ごす。12年全日本選手権3位で注目されたが、13年は4位でソチ五輪代表を逃す。今季GPシリーズのスケートカナダとNHK杯で3位に入り、全日本で初優勝。全日本ジュニア選手権は11、12年と2連覇。大阪・関大高2年。148センチ、35キロ。