創部84年目のJTがサントリーを破って初優勝を決めた。大接戦となった第1セットを41-39で制すと、勢いに乗って3-0で快勝した。72年ミュンヘン五輪で金メダルを獲得した名セッター、猫田勝敏氏(故人)ら名選手を輩出しながら、日本リーグ時代を含めて頂点に届かなかった名門が悲願を達成した。サントリーから移籍2年目のエース越川優主将(30)が、8季ぶりに最高殊勲選手賞を受賞した。

 第3セットの24-19から越川が強烈なジャンピングサーブで相手レシーブをはじくと、歓喜の輪ができた。「移籍した時にチームから言われたのが『優勝できるチームにしてくれ、勝ってくれ』だった。主将の役割も宿命と思った。仲間、会社、ファンの方々に感謝です」と、笑顔で優勝トロフィーを高々と掲げた。

 約50分間にわたった激闘の第1セットを、相手に11度もセットポイントを奪われながら粘り勝ったことが明暗を分けた。「紙一重の差が自分たちの自信になり、相手にダメージになった。勢いがついた」。以降は、12年ロンドン五輪銀メダルのブラジル代表ビソットらと攻守に圧倒した。

 「世界一のセッター」猫田氏が選手、監督として活躍した古豪にとって創部から84年目の悲願成就だ。日本リーグ開幕から48年間、国内のトップレベルで戦い続ける唯一のチームながら7度も2位に甘んじてきた。サントリーで2度のリーグ優勝を経験した越川は昨年準Vの悔しさを胸に、先輩、後輩関係なく練習中から叱咤(しった)を続けてきた。1つの目標に向けて一致団結させた結果が出た。

 広島の本拠は「猫田記念体育館」。会ったことのない故人の思いも背負う。毎年お盆の時期には選手全員で墓前で必勝を誓ってきた。越川は、ブコビッチ監督の就任と同時期の13年に加入したが、長野・岡谷工3年で日本代表に招集された時、すでに当時の大古誠司監督から「猫田イズム」を注入されていた。「心構え、取り組む姿勢を教えていただいた。天国で喜んでくれていると思う」。

 新たな扉を開き、広島のスポーツ界への波及を望んだ。「カープ、サンフレッチェの優勝にも火だねになれましたかね。JTの優勝でバレー人気も出てくれれば」。チーム名にちなんだ“サンダー女子”誕生も期待した。【鎌田直秀】

 ◆越川優(こしかわ・ゆう)1984年(昭59)6月30日、石川・金沢市生まれ。長野・岡谷工高3年の02年釜山アジア大会で全日本入り。03年サントリー入り。09年7月にイタリア2部パドバに移籍。12年にサントリーに復帰し、13年にJT移籍。ウイングスパイカー。189センチ、86キロ。血液型A。

 ◆JT男子バレーボール部 1931年(昭6)、大蔵省広島専売局排球部として創部。72年ミュンヘン五輪金メダリストの西本哲雄氏、故猫田勝敏氏ら、多くの日本代表選手を輩出した。旧日本リーグは67年の第1回から全て参加し、その後はVリーグ、プレミアリーグを通じて1度も降格がない。準優勝は計7度。本拠地は広島市で練習場は猫田記念体育館。女子バレーボール部は兵庫県西宮市に練習拠点を置く。