1年間の休養を経た元世界女王の浅田真央(25=中京大)が、圧巻の演技で復帰戦を飾った。冒頭のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の成功だけでなく、表現力でも観客を魅了。ソチ五輪での自己ベスト(142・71点)に次ぐ141・70点(非公認)で1位となった。ブランクどころか、ベテランらしい自己管理能力の高さで進化を見せつけた。

 一瞬、わずかに下唇をかんだ。曲が流れ始め、動きだすまでの数秒間。遠くを見つめるような表情をした浅田が、唇を動かした。「1人の男性を待ち続ける切ない物語で、日本人の心(しん)の強さを演じたかった」。オペラの名曲「蝶々夫人」は、米国人の夫を待ち続ける悲恋を描く。553日ぶりの試合。そのしぐさ1つで、1万6511人満員の観客の視線を集め、新たな境地を想像させた。そして、滑り出していった。

 冒頭の3回転半。「特別に思わない。エレメンツの1つとして練習してきた。そういう気持ちが今日の試合に生きた」。まったく危なげなく着氷。従来は跳ぶ前のスピードが成功の可否を握った大技は「完成の域」(佐藤コーチ)に。スピードは抑え気味だが、余計な力が抜けている分だけ、安定感が増していた。

 「演じるという、自分のしたい滑りはできたかな」。3回転半が特別でないからこそ、顔のわずかな動き1つまで気を使えた。観客に染み渡るような演技を終えると、少し間を置いて白い歯をこぼした。1つ、うなずき、胸に手を当てた。優勝インタビューの第一声では「ただいまで~す!」とおどけて笑った。

 演じた「心の強さ」。それは浅田自身に重なる。5月に復帰を宣言後、自己管理の範囲が増えた。再び師事を仰いだ佐藤コーチは、「今までのように全部指示するのではなく、彼女ペースで進めている」。指導通算5年目。量、質を自ら思案し、映像から改善点を探った。考える時間が増えた。良化した3回転半もその成果の1つだった。

 もともと、自分を持つ。試合での6分間練習後、周囲を驚かせた幼少期。1番手なのか5番手なのか、滑走順によって準備が細かく決まっていた。アップの仕方から、靴を脱ぐか、脱いだらいつ履くか、まで。そんな自己管理ができる小学生はいなかった。

 25歳の今も、より一層。「久しぶりの試合でしたが、気持ちをコントロールして滑れた」。高揚感、不安。休養が生む感情を「考えないように」と制御しきった。この日の6分間練習後も、休養前と変わらぬ準備を続けられた。

 復帰を決めた5月。「大人の滑りができれば」と思い描いた。技術、精神。早くもその一端を示し、希代のスケーターは氷の上に帰ってきた。【阿部健吾】

<浅田真央の復帰まで>

 ◆14年2月 ソチ五輪で6位。SPでは16位と崩れたが、フリーでは世界中を感動させる会心の演技。トリプルアクセル成功。

 ◆同月 ソチ五輪から帰国後、日本外国特派員協会で会見。「ハーフ、ハーフ」と、独特の表現で進退に揺れる心中を明かした。

 ◆5月 都内で会見し、「体も気持ちも少しお休みする」と、1年間の休養を宣言。14-15年シーズンは競技から離れることに。

 ◆15年5月 アイスショー「THE ICE」の発表会見で「試合が恋しくなり、達成感をまた感じたいと思い始めた」と、現役続行の意思を示す。