ノルディックスキー・ジャンプ男子の葛西紀明(43=土屋ホーム)のW杯出場数が26日までに480戦に訂正された。国際スキー連盟(FIS)が、今季開幕後に16歳当時の2戦が欠落していることに気づき、公式ウェブサイトの記録を訂正した。二十数年世界で飛び続けるレジェンドが、FISのミスさえ誘発した“珍事件”。順調なら来年2月14日のビケルスン大会(ノルウェー)で前人未到の500戦に到達する。

 レジェンドにまたまた伝説が加わった。世界最多となる葛西のW杯出場数が、2戦追加された。今季の開幕前まではFISの公式サイトで477戦とされていた。普通なら22日の個人戦(5位)に出場したため478戦となるが、FISが2試合の欠落に気づき480戦に訂正した。ジャンプ選手の多くが20歳代で引退する中、不惑を超えても飛び続ける葛西のすごみが、正確であるはずのFISの記録さえも狂わせていた。

 ミスはデビュー戦の欠落だった。これまで公式記録のデビュー戦は、89-90年シーズン12月のサンダーベイ大会(カナダ)だったが、実はデビューはその前の88-89年シーズンの12月で、東海大四高1年(16歳6カ月)で出場した札幌大会2戦。初戦は31位で2戦目は24位だった。W杯転戦のため、フィンランドに滞在している葛西は2戦が追加されたことを知らされると「おおおおお~!」と感嘆の声を上げながらも「僕にとっては通過点。これからもいろんな記録を目指して頑張りたい」とさらり。長い年月で築いてきた大記録が起こした“珍事件”にも冷静だった。

 すでに、誰も踏み入れたことのない領域に足を踏み入れているが、この訂正により、順調なら500戦(残り個人30戦)の大台到達が早まる。過去、06年に31歳で引退した原田雅彦(現雪印メグミルク・スキー部監督)が210戦、今の葛西と同じ43歳まで現役だった岡部孝信(現同スキー部コーチ)でも203戦だったことを考えれば、いかにこの数字が突出しているかが分かる。二十数年の現役生活、しかも世界トップの実力を維持しなくては到底、届かない数字だ。

 このままいけば、バレンタインデーにあたる来年2月14日のビケルスン大会(ノルウェー)に達成される。得意のフライングで行われる大会で、開幕前には「最年長記録の更新を狙いたい」と話していた。特別な日に、レジェンドが花を添えるかもしれない。

 ◆葛西紀明(かさい・のりあき)1972年(昭47)6月6日、北海道下川町生まれ。下川小、中時代から天才といわれた。89年2月の世界選手権に初出場。所属先の廃部により、98年は地崎工業からマイカル、01年に土屋ホームに移籍した。W杯は日本男子最多の通算17勝。五輪は92年のアルベールビル大会で初出場し、14年ソチ大会で世界最多の7度目。メダルは94年リレハンメル大会団体銀、ソチ大会で個人ラージヒル銀、団体戦の銅3つを獲得した。世界選手権は12度の出場で通算7個のメダルを獲得している。177センチ、61キロ。家族は妻。

 ◆ジャンプW杯 FISが主催する国際大会で、五輪、世界選手権に次ぐ大会。男子は79~80年シーズンからスタートした。種目はノーマルヒル、ラージヒル、フライングヒルの3つ。1シーズンで男子は約30戦行われ、順位に応じた得点の合計でシーズンの個人総合王者を決める。

 ◆葛西のデビュー戦VTR 東海大四高1年だった88年12月17日の札幌・宮の森ジャンプ競技場で16歳6カ月の史上最年少(当時)でデビューした。現在のK点は90メートルだが、当時は70メートル級。日本選手の出場は20人。公式練習で105・5メートルの大ジャンプを飛び、正式にエントリー。当日は風雪により、1回目の52番目までで1度、キャンセルになる厳しい条件だった。飛び直しの1回目は76メートルで19位タイにつけ、2回目は71・5メートルと伸ばせず31位だった。日本勢の最上位は駒大岩見沢高2年(16歳11カ月)で出場した東輝で14位。勝ったのは鳥人といわれたマッチ・ニッカネン(フィンランド)。