酒井志穂(25=ミキハウス)の3度目の五輪挑戦が終わった。100メートル背泳ぎで5位に終わったのに続いて、この日の200メートルは準決勝敗退。8位と0秒13差の9位で決勝進出を逃すと「決して力を抜いて泳いだわけではないので、素直に結果を受け止めるしかないです」と話した。

 五輪選考会を兼ねる日本選手権出場は、04年アテネ前が最初、100メートルで25位だった。「初めて五輪を狙った」08年北京予選。100メートルは2位で決勝に進出した。決勝でも高校新で派遣標準を切ったが、伊藤、中村に次ぐ3位で涙した。200メートルも5位だった。

 「絶対に五輪へ」と誓った12年ロンドン予選100メートルは、準決勝で派遣標準記録を0・03秒上回り2位通過。決勝でも寺川に次ぐ2位でゴールしたが、派遣に0・02秒届かずプールサイドで号泣した。母の「私は涙の一滴も出ない。まだ200メートルがあるんだから」の言葉に奮起。寺川不在の200メートルは優勝したが、またも0・13秒届かず。「言葉が出ない…」。残酷な優勝インタビューだった。

 今大会「3度目の正直」を狙ったが、それもかなわなかった。力はあった。日本選手権など多くの大会に優勝。100メートルで日本記録を2度更新し、短水路(25メートルプール)ながら世界新記録も出した。「思い出のレースはたくさんある。いろいろなことを我慢して、水泳だけをやってきたから」と胸を張っていった。

 「子供の頃からの夢だった」五輪を、ずっと追い続けてきた。159センチの小柄な体で、大きな目標に挑んできた。しかし、わずかに届かなかった。「夢は夢のままだったけれど、夢を追いかけてきたことはムダじゃないと思いたい。悔しいし、残念。でも、100メートルも200メートルも体が動かなくなるぐらい泳いだので」と話すと、また涙した。

 今後のことは「会社の人とも相談しないと」と明言を避けたが「ここで一区切り」とも言った。「応援してくれるファンの人や、家族、コーチ、私を支えてくれたみんなに感謝したい。五輪に出ることで恩返しはできなかったけれど、いつかは恩返しができればと思っています」。3回の予選でたくさんの涙を流したプール。それでも、最後は明るく前を見て言った。