先日、リオデジャネイロ五輪の競泳代表合宿で、選手たちに話をする機会があった。今回の代表は34人。その中で初代表は中学、高校生を含めて21人もいる。自分も初代表の00年シドニー大会時は高校3年生。代表になれたことが幸せで、調子に乗っている部分はあった。

 そんなイケイケの気持ちが吹っ飛んだのは、100メートル決勝のスタート前。手が突然震えだして水泳帽がかぶれない。今までにない緊張感に混乱した。メダルに0秒43差の4位も、どんなレースをしたか覚えていない。今思えば、その経験は貴重。五輪が想像を超えた大舞台であることを肌で感じた。メダルを取りたいと心から思うこともできた。

 (04年)アテネ大会のときは、金メダルだけしか見えていなかった。前年の03年世界選手権で100、200メートルともに世界記録&金メダルを獲得。絶対に俺が取る。自信の塊だった。負けることを考えたことは1度もない。五輪直前、ハンセン(米国)に世界記録を更新されても冷静だった。自分を疑わず突っ走れた。

 五輪2冠を達成して帰国すると「もう金メダルを取ったからいいのでは」との空気を感じた。そんな「常識」に染まるつもりはなかった。一方で金メダルに満足した自分がいることも事実。2大会連続2冠の目標があったとはいえ、世界の頂点を極めて、すぐにさあ次とは思えない。気持ちが盛り上がらず、精神的にもきつく、円形脱毛症にもなった。

 闘争心を取り戻したきっかけは敗北だった。06年4月の日本選手権。200メートルで4位と惨敗した。国内で表彰台を逃したのは6年ぶりの屈辱。当時は国内で強い選手が出てきても、本気を出せば大丈夫と思っていた。それが実際に日本人選手に負けたことで、アテネ前のようなハングリーな気持ちがよみがえった。

 人間だし、ずっとトップにいると気持ちは緩む。負けて危機感が生まれたことで本気になった。技術力には誰にも負けない自信がある。体力面と調子さえ整えれば、世界のトップに立てる。当時は気持ちの問題だけだったから、金メダルのターゲットが明確になると不安は消えた。200メートルは06年12月のアジア大会、100メートルも07年4月の日本選手権から国内外の主要大会では全勝で北京五輪を迎えることができた。

 本番ではダーレオーエン(ノルウェー)が予選、準決勝ともに世界記録に迫る好タイムで1位。さすがにやばいと感じたが、五分五分で勝てるとも思えた。テレビ放送の関係で準決勝は朝10時。レースを見た後、もう考えても仕方ないと、2時間くらい昼寝をした。起きた瞬間に勝つのは俺だと思った。持ち味の大きく伸びのある泳ぎをすれば勝てると信じ切れた。焦ってピッチを上げず、後半勝負に徹する。逆転。水泳人生のベストレースで金メダルを獲得できた。