井村ジャパン8人の裏に、補欠の涙あり-。

 リオデジャネイロ五輪シンクロナイズドスイミングのチームで銅メダルを獲得した日本代表林愛子(22=井村シンクロク)が5日、母校の芦屋大(兵庫・芦屋市)で五輪の報告を行った。芦屋大職員の乾友紀子(25=同)と大学に向かうと、まずはラグビー元日本代表の大八木淳史理事長(55)らからねぎらいの言葉を受けた。

 林は8人のチームメンバーに入れず、補欠としてリオデジャネイロに同行。仲間のアクシデントに備え、日々の練習で準備やサポートするのが役割だった。大八木理事長から「ラグビーでもリザーブの方が緊張したりするもの。どうでしたか」と質問されると「練習では8人の横で一緒の動きをするのですが『今日はこの人(の動き)で泳ごう』と自分で決めて演技していました」と思い返した。

 補欠の林に求められたのは「誰の代わりでもやれること」。そのため、常に8人それぞれの動きを意識する毎日だった。乾、三井はデュエットの練習で抜けることもあり「私は下手くそなので、そこに入るときには(周りが)乾選手と同じ感覚になれるようにやっていました」と振り返る。

 銅メダル獲得の瞬間は観客席だった。そこから見えた8人の動きは「今までで一番いい演技」。同時に涙があふれてきた。「みんなとは違う涙でした。『私は泳いでないのにメダルをもらっていいのか』というのと『みんなと泳ぎたかった』という思いで…。表彰台では頑張って笑っていたけれど、複雑な気持ちでした」。酸いも甘いも知った初五輪を終え、頭に残るのは井村雅代ヘッドコーチ(66)の言葉だという。

 「ロンドンに出ていた5人と、今回が初めての4人。4人は自分で泳いで取ったメダルじゃない。ラッキーだと思いなさい」

 次の目標はもちろん、20年東京五輪になる。五輪経験者に引っ張られた今回とは違う4年間。林は「1歩1歩成長したいと思います」と謙虚に言う。母校訪問後は付属の幼稚園、中学・高校にも向かい、多くのエールをもらった。「半年ぶりぐらいにここへ来て、お世話になった方に祝ってもらった。今回は補欠として、いろいろなところから感じるものがあった。次に生かせるようにしたいです」。26歳で迎える東京五輪へ、戦いは既に始まっている。