柔道女子日本代表の南條充寿監督(44)が16日、9月末までの任期を前にして、都内で退任会見を開いた。

 この日までに金メダル1つ、銅メダル4つの結果を残してリオデジャネイロ五輪の総括を選手、スタッフと終え、「次のチームに引き継ぐためにしっかり話し合えた。メダルのカウントではロンドンを下回っている。どう受け止めて次につなげるか」と引き締まった表情で述べた。就任したのは13年3月。選手、所属との距離感に悩み続けた在任期間だった。

 暴力指導問題により、前監督が辞任した後を受け、15年1月に亡くなった当時強化委員長の斉藤仁氏から「お前しかいないから頼む」と懇願されての抜てきだった。火中の栗を拾い、わずかな指導聞期間で臨んだ13年世界選手権では金メダルなし。「責任をすごく感じた。あの気持ちは忘れない」と振り返る。

 指導は、やはり「暴力指導」の余波が大きかった。過剰な稽古の線引きが難しい。信頼関係があれば、許容されてきたような練習内での追い込みにも二の足を踏んだ。重視したのは自立、自主性で、自ら考えて成長できる選手像を求めた。13年世界選手権を終えてからは、コーチ陣に代表選手の所属先の五輪メダリストを配置。代表合宿の期間も抑え、自主性を促した。

 その方針を振り返り、「もう少し、全日本のやり方でいく、管理するところがあってもよかった。もう少し踏み込める、もう少しやれることはあったと思う。率いるときに、正直気を使った」と率直に述べた。暴力という負のキーワードが常に指導にはあったのだろう。選手と距離を置き、任せすぎた部分はあった。特に五輪経験がない若手のことをおもんぱかった。本番で十分な力を発揮できなかった63キロ級の田代未来、78キロ級の梅木真美らの名前を挙げ、「サポートしきれなかった。申し訳なかった。達成感よりやり残した方が多い」とリオでの戦いを振り返った。

 女子の指導ではロンドン前は長い期間を拘束し、精神的にはつらい過酷な指導も施し、本番での勝負にかける選手を目指した。代表こそが五輪に向けた強化の場だった。リオへの指導で取ったのは正反対で、所属先に重きを置き、自立がテーマだった。今後を考えたときに、どちらが正解というよりも、これは選手による選択の問題が大きい。

 「すでに五輪を経験していたベテランは自主性で作り上げることができていた。1度ロンドンの時に詰め込みがあったからこそ、できたこと。そういう意味では今回は若手には難しい状況を作った方が良かった」。それが南條監督の見解だった。逆に言えば、経験が不足している若手選手への試合への心身の作り方こそが、今回の代表チームとしての反省点として残った。

 今後はこれまで通り、仙台大で男子監督を務める。「日本代表の監督の立場でしか得られないものあった。一生忘れないと思います。地方から頑張って、後進の指導にあたりたい」と目標を掲げた。