現在のプロスポーツ選手の中で、世界最高峰に最も肉薄しているのが男子テニスの錦織圭(26=日清食品)だ。身長190センチがざらにいる世界トップランキングのガリバーたちを相手に、178センチの錦織はしのぎを削る。亜大教授でテニス部総監督の堀内昌一氏(56)は「時間と場所を奪う」というテニスの本質そのもののプレーに注目。3日に開幕する楽天ジャパン・オープン(東京・有明)を前に今日から3回、テニスを深く知るための最新の考え方を堀内氏が指南する。【構成=井上真】

14年楽天ジャパン・オープンでエアケイを見せる錦織
14年楽天ジャパン・オープンでエアケイを見せる錦織

 テニスはいかに相手の時間を奪い、反対に自分は準備する時間を作るか。その概念に凝縮される。

 ボールは時間と共に飛んで行く。ラリーで相手を左右に走らせれば、走る距離が長くなるほど、返球に精いっぱいで精度が落ちる。つまり準備する時間を奪うことで、相手のリズムを狂わせ、バランスを崩す。常に錦織は相手の重心を崩し、正確にボールをコントロールさせず、心理を揺さぶってきた。

 そのために必須なのは、相手をベースラインギリギリにとどめておく深いショットだ。深く打たれれば、相手はネットに出られない。ベースラインより内側へ侵入させず、相手のスペースを奪う、ということになる。これが時間と場所を奪うという考え方だ。

 この原則に従い、錦織は相手のショットを深く返球しミスを待つ。相手の返球が浅くなった時、錦織にはネット近くのスペースが生まれ、強烈なショットにつながる。打たれた相手は移動できずポイントを失う。

 錦織には時速210キロ超のサーブも、強烈な片手バックハンドも、超高速回転フォアハンドもない。それでも互角以上に渡り合い、体格的ハンディの中で好成績を収めてきたのは、この原則を完璧に実行してきたからだ。特筆すべきは、錦織が複数の打点でリターンを打てること。これが大きな武器になっている。

 かたやガリバーたちに錦織のテニスをする必要はない。ビッグサーバーや強烈なショットの持ち主は、それでポイントを奪える。錦織のように俊敏なフットワークとバランスの取れた切り返しで追いつき、顔を上げて相手の位置を確かめながらコースを隠しつつの返球。その必要がない。ゆえに「錦織VSガリバー」には、テニスの「本質VS馬力」という対照的な図式が見え、ファンを魅了する。

 錦織の代名詞「エアK」がその代表例だ。やや浅いエリアで弾んだ相手の返球は、通常は自分の得意な打点でウイナー(相手のラケットに触れず決まったポイントとなるショット)を目指す。だが、錦織は空中で不慣れなはずの打点で打つ。相手からの返球が弾んだ分だけ、相手も錦織の動きから対応する時間が生まれるのだが、空中で打つため対応する時間を失う。よって相手はスプリットステップ(※)のタイミングを外され、反応ができない。

 日本の男子バレーが72年ミュンヘン五輪で1人時間差攻撃を編み出した。スパイクそのものに威力はないが、相手に対応する「間」を与えなかった。エアKはまさに同じ考え方でみると、よく理解できる。ショットそのものの威力はさほどでも対処する猶予を奪う。ダイナミックで華麗に見えるが、実は錦織のテニスのスピリットが詰まった象徴的なショットといえる。


 ※スプリットステップとは 相手のサーブやボレーに対し、相手のインパクトの瞬間に小さくジャンプする。空中で重心をニュートラルにし、相手のショットの方向を見極め、着地後に前後左右に動きだすようにすることが目的。


 ◆錦織の打点 普通はフェデラーやマリーのように、弾んでからバウンドの頂点付近が得意な打点という選手が多い。ナダルの打点は後ろ。相手の返球の球威は落ち、より長く軌道を見られる。それだけ相手も返球への準備ができるが、ナダルは強烈なスピンをかけ相手をネットに出させない技術を持つ。

 錦織は得意な打点よりも前方に、複数のポイントで打てる。相手が返球を打ってから錦織がリターンを打つまでおよそ1秒。もっとも前の打点ならばおよそ0・7秒。この差の中で打ち分けるため、相手は一定のリズムが保てず、ペースを乱される。ジョコビッチも複数の打点が可能だが、パワフルなショットを持つだけに、錦織ほど攻撃的で多彩な返球はあまり見せない。錦織はこの打点の多さを、フォアとバックハンドでこなせる希少な存在だ。

錦織
錦織
ジョコビッチ
ジョコビッチ
マリー
マリー
ナダル
ナダル
フェデラー
フェデラー

 ◆世界トップ選手のガリバー化 9月26日の最新の世界ランキングトップ10では、錦織をのぞく9人の平均身長は189センチ。ラオニッチ、ベルディハが196センチで最も高く、9人の中で最も低い世界ランキング3位バブリンカですら183センチで、178センチの同5位錦織よりも5センチ高い。同1位ジョコビッチ188センチ、同2位マリー190センチ、同4位ナダル185センチと、大型選手がひしめくガリバーたちの世界で小柄な錦織が奮闘している。


 ◆堀内昌一(ほりうち・しょういち)1960年(昭35)2月1日、東京都出身。日体大では83年ユニバーシアード出場。学生時代から海外での試合経験を積み、世界のトップの練習方法やコーチングを学ぶ。85、86年ジャパン・オープン出場。指導者に転向後は全日本大学王座決定試合で男子2回、女子3回優勝へ導く。日本テニス協会公認マスターコーチ。指導者養成にも取り組む。