日本ラグビー史上屈指のスター選手として活躍し、日本代表主将、監督も務めた平尾誠二氏が20日、53歳で死去した。現役時代に大学選手権3連覇を達成した偉業が残る母校の同大では、後輩の山神孝志監督(49)や現役選手が突然の別れを惜しんだ。

 「良かったな、おめでとう」

 15年12月5日、夜。山神監督の携帯電話に平尾氏からのメールが届いた。関西大学リーグで天理大を13-10と僅差で退け、8年ぶり48度目の優勝(関西大学対抗戦の6度を含む)を成し遂げた夜だった。普段は山神監督がラグビーの相談などで、先輩の平尾氏の元を訪ねていた間柄。偉大なスターの心遣い、同大への思いがうれしかった。

 山神監督 正直、僕たちは(現役時代に関西で)優勝するのが当たり前だった。(関西での)優勝に対して、(個人的に)そんなに心が動くことはなかった。

 平尾氏も同じ気持ちだったかもしれない。現役時代は3年連続の日本一。関西では優勝して当たり前の時代だった。山神監督は文面を読んで感じた。「平尾さんからのメールを見て、やっぱり(復活までが)長かったんだな…と」。

 既にそのタイミングで、平尾氏は闘病していた。だが、周囲にはその一部始終を隠していた。昨年12月10日。大学選手権に進む母校へ、神戸市内の神戸製鋼クラブハウスの一室で熱い思いを語ったことがある。

 平尾氏 (優勝という)節目は大事なんだよ。節目がないと、次の段階にいけない。関西3位(で進出)じゃ、帝京に勝つのはしんどいんだから。関西代表として恥ずかしくない、いいプレーをしてほしいね。

 母校が1歩ずつ復活の階段を上がる様子を、静かに見守っていた平尾氏。16年10月20日。午後6時と7時から二手に分かれて始まった同大の練習では、全員で黙とうをささげた。山神監督は「平尾さんは志半ばで去った。その思いも背負わないといけない」と部員に伝えた。同大が最後に日本一になったのは84年度。その中心にはもちろん平尾氏がいた。

 現在の同大は関西リーグで開幕3連勝中。32年ぶりの日本一へ、特別な思いで後輩たちはスターの背中を追う。次戦は23日、大阪・花園で関学大とぶつかる。