平尾先輩、勝ちました-。20日に53歳の若さで亡くなったラグビー元日本代表監督の平尾誠二氏の母校・伏見工(現京都工学院)が22日、京都・宇治市の太陽が丘球技場で行われた全国高校ラグビー京都府予選・決勝トーナメント1回戦を快勝した。亀岡を81-5で圧倒し、ベスト8に進出。2年連続21度目の花園へ好発進した。

 伝統の赤と黒のジャージーを身にまとったフィフティーンが、グラウンドを縦横無尽に駆け抜けた。4月1日に伏見工と洛陽工が統合再編され、京都工学院が開校。登録名「伏見工・京都工学院」として全国を目指す初戦を、計13トライの猛攻で危なげなく突破した。

 特別な思いで選手を見守ったのは、80年度大会でSHとしてSOだった平尾氏とハーフバックのコンビを組み、初の全国制覇を果たした高崎利明ゼネラルマネジャー(GM=54)だ。「やってた時を思い出した」と、36年前の瞬間が脳裏に浮かんだ。この日の後半、伏見工の選手がレートチャージして反則を取られたが、高崎GMは「平尾もSOでよく狙われてたんです。その時は僕がすぐにボールを持って、笛の鳴った地点へ行っていた。そこからトライを取ったこともあった」と、青春時代に思いをはせた。

 ともに汗と涙を流し、歓喜も味わった親友は、病に倒れて天国へと召された。現役時代に数々の栄光を手にしてきた平尾氏は、体調を崩した昨秋「やることをやってきたから、もういいよ」とこぼしたが、夫人に「私らのために生きて」と訴えかけられ、病魔に立ち向かったという。「平尾は家族のために、この1年頑張っていたと思う。よく頑張ったと思う」。高崎GMも必死に悲しみをこらえた。

 この日、周囲は平尾氏の「追悼試合」と騒々しくなった。だが、高崎GMは「平尾のことは先生が背負うことだから」と現役部員に言い聞かせ、余計な負担、重圧を掛けないよう配慮した。「これから京都工学院になる未来に向かっての戦い。追悼試合ではない。彼ら(現役部員)に平尾のことを背負わすのは重すぎる。偉大な先輩だけど、身近な先輩ではないんです。雲の上の人ですから」。平尾氏と会ったこともない部員がほとんどという中、試合に集中することを促し、喪章もつけることはなかった。

 右太もも痛でこの日は出場機会のなかった奥村翔(かける)主将は、高校時代の平尾氏と同じSOが本職。「初優勝の時から伏見工を作った人。尊敬する人です」と平尾氏を敬う気持ちを忘れない。松林拓監督(49)は高校時代、当時同大の平尾氏から「きつく鍛えられました」と懐かしがった。「平尾さんに報告というのは、おこがましい。それは高崎先生(GM)がすることでしょうし、僕はそのお手伝いをさせてもらえれば」と話す。

 伏見工が最後に全国制覇を果たしたのは05年度。11年ぶり5度目の日本一を目標に掲げる奥村主将は「平尾さんのことは意識するなと言われています。自分たちのために優勝するのが一番です。1戦1戦、勝っていきたい」と力を込めた。