プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月13日付紙面を振り返ります。2014年の1面(東京版)は渡部暁斗がソチ五輪ノルディックスキー複合で20年ぶりの銀でした。

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<ソチ五輪:ノルディック複合>◇2月12日◇個人ノーマルヒル

 お家芸復活だ! ノルディックスキー複合の個人ノーマルヒルで、3大会連続出場の渡部暁斗(25=北野建設)が銀メダルを獲得した。前半飛躍(HS106メートル、K点95メートル)で100・5メートルを飛び2位につけると、後半距離(10キロ)でも6秒差で追うエリック・フレンツェル(ドイツ)と金メダル争いを展開。最後はスタジアム勝負でフレンツェルに敗れたが、94年リレハンメル大会の河野孝典(銀メダル)以来、5大会ぶりの個人戦メダルを奪回した。

 W杯総合首位のフレンツェルと、2位の渡部暁が演じた壮絶な王者争い。4秒2差でゴールに飛び込むと大の字に倒れ込んだ。精も根も尽き果てた。常に両者が1秒以内にチェックポイントを通過。激しい出入りを繰り返し、迎えた最後のスタジアム勝負だ。やや上りの仕掛けに、懸命に追うが抵抗できず離された。右拳を握り掲げてゴール。金メダルこそ逃したが、20年ぶりに同種目の個人メダルをつかんだ。「イメージした展開で負けたので悔いはない。僕らしいですね」と悔しさと充実感をにじませた。

 コースを味方につけた。1周2・5キロの後半距離はコーナーが多く、スキー技術の高さが問われる。さらにコース幅が狭く、抜きどころがない上に最後の直線が短く、苦手なスプリント勝負は避けられる。「自分には合っているコース。イメージはできている」と話したように、前半ジャンプで思惑通りに6秒差の2位につけ、銅メダル争いを演じる後続の大集団の追随を封じ込めた。

 有言実行のメダル奪取だった。1月上旬にインフルエンザにかかり、一時、調子を落としたものの、五輪前の最後のW杯で3位。直前の欧州合宿では、病み上がりで負荷をかけた体の疲れを取りながら態勢を整えてきた。ソチ入り後の会見で「初出場から8年。ようやく金メダルを取ると心の底から言えるようになった」と強気な発言で自身を鼓舞した。小学校の卒業文集には「五輪で金メダルを取る」と記した。色は違うが、胸を張って誇れる夢を、つかみ取った。

 昨季の世界選手権で3種目(個人1、団体2)で4位という屈辱にまみれた。昨夏、得意の走力に磨きをかける必要性を感じ、新たな練習メニューとして自転車を購入。週に2回、約3~4時間かけて長野県内を走り回った。「長く走って力を使うのはランニングよりもこっちの方が似ている」と今に妥協することなく日々、進化を求めた。

 今季のW杯は、得意の走力を武器に10戦中5戦で表彰台に立つなど安定した結果を出し続ける。一昨年に4勝を挙げた実力は、もう本物だ。18日には個人ラージヒルを控える。「もちろん、金メダルを狙っていく」と複数メダルを視野に入れる。自信と勢いをつけ、今度こそ金色に輝くメダルをつかむ。

<渡部暁斗アラカルト>

 ◆生まれ 1988年(昭63)5月26日、長野・白馬村生まれ。

 ◆スキー 3歳からスキーを始め、98年長野五輪のジャンプを観戦したことをきっかけに白馬北小4年からジャンプを始める。白馬中1年から本格的に複合に取り組む。

 ◆世界大会 白馬高2年の06年にトリノ五輪代表に選出され個人スプリント19位。早大進学後は09年の世界選手権団体戦で優勝メンバー。10年バンクーバー五輪は個人ノーマルヒル21位、同ラージヒル9位、団体戦6位。

 ◆W杯 10年1月に3位に入り初の表彰台。12年2月には初優勝するなど、このシーズン4勝。通算も4勝で表彰台は21回。昨年3月のオスロ大会では2位に入り、3位の弟善斗とともに初の兄弟表彰台を経験。

 ◆家族 両親と3歳年下の弟善斗。今春から同じ北野建設に入る。

 ◆天然系 験担ぎは「意味がないと思っている。いろいろ乗り越えてきたから必要ない」と話す直後に、「おっちょこちょいな性格で、そもそも験を担いだこと自体を忘れちゃいますから」。

 ◆読書家 昨年夏の欧州合宿に「自分をみつめる禅問答」を持参。「理解するのは難しいけど面白かったですね」と、泰然自若の精神が養われた? 秋には北野武の「超思考」を読み「何かを得るものではなかったけど面白かった」。

 ◆サイズ 173センチ、60キロ。

※記録や表記は当時のもの