プレーバック日刊スポーツ! 過去の2月20日付紙面を振り返ります。2014年の1面(東京版)は竹内智香がソチ五輪スノーボード女子パラレル大回転で銀メダル獲得を伝えています。

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<ソチ五輪:スノーボード>◇19日◇女子パラレル大回転

 スノーボード女子パラレル大回転で、竹内智香(30=広島ガス)が銀メダルを獲得した。予選1位で2人1組の対戦形式による決勝トーナメントに進むと、1回戦から準決勝まで安定した滑走。W杯ランク1位のクンマー(スイス)との決勝は2本目の終盤で転倒して惜しくも敗れたが、日本に今大会女子初のメダルをもたらした。07年夏にスイスに移した活動拠点を日本に戻して迎えた4度目の五輪。自ら道を切り開いてきた第一人者がついに念願の表彰台を射止めた。

 あと4旗門。決勝2本目、ゴール目前で竹内はバランスを崩して前のめりに倒れた。雪を握りしめながらすぐに立ち上がって滑りきり、金メダルのクンマーと抱き合った。「スノーボードを始めたときから五輪で勝つことを目指してきた。メダルを取れてうれしいけど、今は2位の悔しさの方が大きいかもしれない」。喜びと悔しさが交錯した。

 前日に雪が降り、気温が下がって斜面は一気に固まった。アイスバーンが得意な竹内は「スケート場みたい。今日は自分の日だ」と歓迎。予選をトップ通過すると、決勝トーナメントでも安定した滑りを見せた。決勝は今季1勝2敗のクンマーに敗れたが、日本女子スノーボード初の表彰台。11年から個人コーチを務める元オーストリア代表ヘッドコーチのスタドラー氏は「テクニック、フィジカル、メンタルがそろった。僕にとって銀は金と同じように輝いている」とたたえた。

 12年春に下した決断が、実を結んだ。「日本に帰る」。それは“日本人”として五輪に挑むことだった。9位で入賞を逃した06年トリノ五輪後、国内にいては勝てないと痛感。翌年夏、本場欧州に渡った。どの国にも練習参加を断られたが、何度も頼み込んで許されたのが強豪スイスだった。練習の合間に語学学校に通い、ドイツ語を習得。世界のトップクラスから技術を学び、10年バンクーバー五輪は満を持して迎えた。しかし決勝1回戦で敗れた。

 何が悪かったのか。分からぬままでいたとき、スタドラー・コーチの言葉が響いた。「自分の国をリスペクトしなければチャンピオンにはなれない。日本チームに入って応援されるプレッシャーや責任を感じるんだ」。前回五輪、スタート台で横にいたのはスイス人コーチ。「日本のやり方を見返してやる」。心の半分はスイス代表だった。

 上ってきた階段を下るような気持ちで帰国した。しかし、待っていたのは充実した練習環境だった。欧州で学んだ技術に、日本の国立スポーツ科学センター(JISS)で鍛えたフィジカルが加わって、強さを増した。12年12月21日、29歳の誕生日にW杯初優勝。W杯後も海外を転戦したこれまでとは違い、一戦ごとに帰国した。スタドラー・コーチからは「1日1食は日本食を」と言われた。

 「私にとって正しい判断だった。日本代表として戦えてうれしい。今は恩返しをしたい気持ちです」。遠回りして、やっとたどりついた五輪の表彰台。帽子の真ん中についた日の丸が、輝いて見えた。

※記録や表記は当時のもの