1992年アルベールビル、94年リレハンメル両冬季五輪のスピードスケート代表で、アルベールビル大会の男子1000メートルで銅メダルを獲得した宮部行範(みやべ・ゆきのり)氏が7日に東京都新宿区の病院で死去した。48歳だった。

 東京都出身。埼玉・春日部高から青学大とスピードスケートの選手としては異色の道を歩んだ。青学大4年時には、三井物産に入社が内定してスケートを離れると決意したが、「ここでやめると悔いを残す」と、3月になって入社を辞退。三協精機(現日本電産サンキョー)に進んだ。社会人1年目で迎えたアルベールビル五輪では、2歳上の兄の保範氏(男子500メートル5位)と兄弟で入賞を果たした。94~95年シーズンのW杯男子1000メートルでは、男子の日本選手として初の種目別総合優勝を果たした。

 98年長野五輪の代表選考レースで右足を痛めて、翌年に三協精機を退社。00年には選手の社会貢献などを目的に長野市でNPO法人を設立するなどした。米オハイオ州立大大学院への留学を経て、05年から日本オリンピック委員会(JOC)で職員として勤務。14年のソチ五輪では日本選手団の本部員として選手らをサポートしていた。