期待の新星堀島行真(19=中京大)が、デュアルモーグルを制し、日本男子初優勝となった8日のモーグルと合わせて2冠を達成した。フリースタイルスキーの日本勢の2種目制覇は、09年世界選手権猪苗代大会の上村愛子以来の快挙だった。これまでは無名の存在だったが、今大会で才能が一気に開花。あと1年を切った平昌五輪の金メダル候補に躍り出た。

 2冠の裏には小学校教員の父行訓さん(56)との二人三脚の歩みがあった。小学生の夏休みは、自宅のある岐阜・池田町から三重・桑名市に通うのが日課。行訓さんの自家用車で片道1時間以上かかる。そこには夏場にエアを磨くウオータージャンプ場があった。1日50本以上も飛んだ。肋骨(ろっこつ)が折れたこともある。それでも関係なしに水に飛び込み続けた。

 帰宅すると行訓さんが撮影したビデオを見返し、感じたことをノートにつづった。「ウォータージャンプ日記」。サイズはA4、1時間以上かけ鉛筆で1日1枚。夏休みは毎日欠かさなかった。堀島は後方宙返り2回ひねりの「ダブルフルツイスト」や3回転の「コーク1080」など最高難度のエアが武器。それを操れるようになったのも小学生時代の練習と日記が根底にある。行訓さんは言う。

 「『やりたい技』『つかんだ感覚』『失敗の原因』などビデオを見ながら、考えてました。好きこそ物の上手なれ。ウォータージャンプ日記が今のエアにつながっているのかもしれません」

 中学生になると自宅の駐車場で直径約7メートルのトランポリンを跳んだ。約10万円を父が自費で購入した。雪のない時季も自宅が特訓場。自然と空中感覚が身についた。

 世界選手権の優勝から30分後、行訓さんの携帯電話が鳴った。堀島からだった。「金メダル取りました。頑張りました」。家族の支えが偉業につながった実感がこもっていた。今でも気が付いたことがあれば、ノートに記す。行訓さんの撮影したDVDは100枚以上になった。

 小学校の卒業文集。「夢を持って、必ずかなうという気持ちで努力したい」と書いた。夢は「五輪に出ること」だった。もう出場では収まらない。1年後の金メダルをはっきりと視界にとらえた。【上田悠太】