世界女王に3度輝いた浅田にとって「自分が好きで戻ってきたスケート」をやりきった末の幕引き。情熱的な「心」があっても「技体」がついて来ず「フィギュアスケート選手として終える決断を致しました」。かねて最終目標と公言してきた平昌冬季五輪へ挑戦することも断念せざるを得なかった。

 2014年ソチ五輪後、1シーズンの休養を経て15年に復帰してグランプリ・シリーズの中国杯を制するまでは良かった。しかし、そこから暗転した。不調が続き、代名詞の大技トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)の軸足となる左脚の膝に違和感を覚えるようになった。16年の世界選手権は過去最低の7位。シーズンオフにも関係者には膝の痛みを訴えていた。

 今季もグランプリ・シリーズで輝きを取り戻せず、昨年末の全日本選手権では、シーズンに入ってから実戦で封印していたトリプルアクセルを練習で何度も跳ぼうとした。しかし精度は低く、佐藤信夫コーチが「無謀」と評した状態で大技をショートプログラム、フリーでともに挑戦して自己最低の12位に終わった。フリーの演技直後は現役続行の意思を示したが、ブログでの引退表明となった。