浅田が残した名言に「ハーフ、ハーフ」がある。ソチ五輪後の14年2月、日本外国特派員協会での会見。現役を続けるのか、その確率を問われて出てきた言葉だった。「フィフティー、フィフティー」ではない表現が、進退を迷う浅田の心とマッチし、世に広まった。かつて「メークドラマ」という和製英語を流行させた長嶋茂雄氏と同じ、ユーモラスな言葉のセンスがあった。

 もう1つ、有名な「真央語」は「ノーミスする」(ミスをしないの意)。英語直訳のような表現だが、10代前半の浅田が多用したことで、同世代の織田信成、安藤美姫らも使い、フィギュア界に一気に広まった。

 10代前半の浅田は、演技について「ノーミスします」を繰り返した。だが、10代後半から徐々に言葉の幅が広がっていく。初の五輪出場を決めてから迎えた10年1月、韓国で行われた4大陸選手権。ライバル金妍児は出場していなかったが、韓国メディアは到着する浅田を空港で待っていた。ピリピリムードの中、現れた浅田の第一声は「ちょっと、かわいい服で決めてみました」。一言で、空気を和ませた。

 昨年11月のGPスケートアメリカ。跳びたくても跳べないトリプルアクセルについて「挑戦していいか悪いかは、ハーフ、ハーフ」と自身の名言を引用し、説明した。引退会見でも「何で簡単に跳ばせてくれないの」と同ジャンプへの思いを笑いながら語った。懸命に考え、発する言葉にはいつもユーモアと誠実さがあった。【高場泉穂】