12年ロンドン五輪競泳男子200メートル平泳ぎ銅メダリストの立石諒(27=ミキハウス)が24日、7つの五輪メダルを持つ北島康介氏(34)への思いを語った。大阪・八尾市内の所属先で引退会見。

 最も印象深いレースとして、北島氏に敗れながら2位でロンドン五輪切符をつかんだ12年4月の日本選手権200メートル平泳ぎ決勝を挙げた。

 「彼(立石)は努力しない天才ですから…」

 当時のレース後、北島氏がテレビインタビューで口にした言葉だ。その先輩とのデッドヒートが、五輪本番より思い出に残っていた。「あの時は、本当に僕も自信にあふれていた。コーチとも『1位でロンドンに臨もう』と話していた。思ったことは『やっぱ、北島強えな』ということ。まさか負けるとは思わなかった」。あの日、北島氏が言った「努力しない天才」。あれから5年。スーツ姿で人生の節目を迎えた立石はこう振り返った。

 「『何言っちゃってくれているの』と思った。でも今思えば、認めてくれているという意味だった」

 隣の高城直基コーチは立石の性格を代弁した。「確かに北島選手の言ったことは当てはまると思います。長期的な努力はできないかもしれない。でも、(ロンドン五輪に向けた)あの1年は立石から『五輪イヤーなので、本気で目指します』と言ってきた。次の日に手が動かなくなるぐらいやった。『陰で努力できる天才』だったと思います」。

 引退を決めた理由も立石らしかった。昨年、リオデジャネイロ五輪出場を逃して悩んだ際、北島氏の「もう1度頑張れ」という言葉が背中を押してくれた。その上で立石は言う。「僕は『4年後目指してやるぞ』と言われても、心がくじける。今年、1カ月…と短期的なスパンで目標が必要だった」。20年東京五輪に向けた1年目。今月の日本選手権では周りに歯が立たたず、潔く身を引くことを決断した。

 12年ロンドン五輪の200メートル平泳ぎ決勝では、北島氏に競り勝ち銅メダルを獲得した。立石は同じ時代を歩んだスターの圧倒的な存在感と、自らの選手人生を重ねた。

 「康介さんは、僕が五輪を意識し始めるきっかけになった人。目標になり、人として尊敬する人になり、僕の水泳人生そのものになってくれた人。最後はああいう人になりたいと思ってやってきた。康介さんの偉業には足元にも及ばないけれど、僕の中では、康介さんと一緒に国際大会に行けたことを誇りに思います」

 目指していた20年東京五輪はサポートする側に回り、これからも水泳に携わっていく。涙はなく、笑顔で堂々とした、現役生活最後の「晴れ舞台」だった。