本田真凜(16=大阪・関大高)が、鮮烈なシニアデビューを飾った。ショートプログラム(SP)首位で迎えたフリーは、標高約1300メートルの難条件で酸欠になりながらも大きなミスなく滑り切り、131・52点、合計198・42点で優勝。平昌五輪シーズンを最高の形でスタートした。

 得点を待つキス・アンド・クライの場に本田はいなかった。演技を終えるとよろめきながら、リンクサイドへ。手がしびれ、血の気のうせた真っ青な顔で倒れ込んだ。「最後の方は覚えていない」。力を出し尽くして、優勝を引き寄せた。

 滑る前から不安はあった。標高1300メートルにある会場は空気が薄く、すぐ息が上がる。さらにフリーの時間が、ジュニア時代の3分30秒から4分に延びて初めて迎える大会だった。「後半どれだけ自分と闘えるかは自分の気持ち次第。絶対何があっても最後までやる」と何度も自分に言い聞かせ、鬼気迫る表情でスタート位置に立った。

 冒頭の3回転ルッツ、続く3回転連続技とジャンプを決めたが、徐々に苦しくなっていく。酸欠、それに伴う足の疲れが「どっちもあった」。最後はダブルアクセルにさらに2つジャンプを付けて、得点を上積み。記憶が薄れる中でも最後まで攻めた。「自分との闘いに勝てた」と価値ある勝利だった。

 初の五輪を目指すシーズン。フリーに選んだ曲は、06年トリノ五輪で荒川静香さんが金メダルを手繰り寄せた「トゥーランドット」だった。物心ついた5歳の頃、動画で初めてその演技を見て、強い衝撃を受けた。「ああいう舞台で完璧な演技をするのはすごい。出るからには優勝したい」。何度も見て、五輪への思いを膨らませた。夏には、荒川さんにこの曲で滑ることを報告。「勝負のシーズンで力強く滑る真凜ちゃんの姿を楽しみにしています」とエールをもらった。「常に、女王でないといけない」。オペラのヒロインと自分を重ね、自分なりの「トゥーランドット」をつくっていくつもりだ。

 表彰台では「大人になったので、歌ってみました」と初めて君が代を熱唱した。ジュニア時代とはまた違った日の丸の重みを実感した。「今季の1番の目標は五輪代表になること。変わらない」。五輪に向け、女王の物語がここから始まった。【高場泉穂】