「人生初の大歓声」を全身に浴びた稔ヶ丘高の2部2年80人は、何を感じたのか。みずみずしい17歳の感性と、見守った日体大の学生の感動が重なった。大歓声の先に、生徒たちが捉えていた景色とは。(取材、文=井上真)

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 やり抜いた充実感の中で、生徒たちは思いもよらない仲間の一面をはじめて知る。常に感情を表に出さず、淡々としているクールな1人の生徒が泣いている。「○○が泣いている!」。そう言われて、みんなの視線が注がれると、その生徒は「こりゃ、泣くでしょ」と言って、また涙を流した。

 リーダー5人の1人、小林は生徒が感じたふるえる思いの一端を説明してくれた。

 小林 私はこれまで卒業式など寂しい時、悲しい時にしか泣いたことがなかったんですが、うれし過ぎて泣いたのははじめてです。達成感と、やり切ったんだという思いと、ハッピーなそんな気持ちからの涙でした。

 泣くこと、感情を表に出すことが苦手だったチャレンジスクールの生徒が、ありのままの自分をさらけ出している。

 日体大の西野、佐々木の2人も、今まで見たこともない生徒の姿を目の当たりにした。

 西野 みんなが出口を歩きながら出てきた時の笑顔が忘れられません。

 佐々木 たくましく歩いていました、みんな…。それを見ていたら僕たちも涙が止まらなくなって…。泣いている姿を見ていたら、こちらもやられてしまって。

 目標をみんなで決めて、それに向かってひたすら進み、晴れて文化祭で成果を見せた。みんなが、自分たちのパフォーマンスに驚き、やり切った充実感に浸った。その喜びの感想を順番に聞いた。

 その時、予期せぬ言葉が飛び込んできた。

 福島 今回の事で、学校に来づらくなった人もいるんだと感じています。

 突然の展開に驚いた。どういうことなのか。

 福島 ちょっと言い方が難しいんですが…、責任を果たせなかった人たちにとって、私たちが成功を喜ぶ様子は重かったかもしれません。表現は難しいんですが…。事情があって練習に来なかった、来れなかったことで、責任から逃げてしまったと感じた人がいたら、私たちがやり切ったことで、学校に来ずらくなったんじゃないかって。そういう人のことを考えて、とても気になっています。

 福島の言葉は、実際に集団行動の練習に取り組んだ生徒だけでなく、さらに広い視野から生まれたものだと感じた。彼女の気持ちは、いろんな理由から文化祭に積極的に参加できなかった生徒へ向いていた。

 その鋭い指摘には冷たさはみじんもなく、自分も経験した不登校という経験をひとつの血肉として、相手の立場、心のありようを推し量ろう、同じ目線で考えようという思いやりにあふれていた。。

 福島は中学時代に不登校を経験していた。それを敢えて公言はしていない。親しい友達には聞かれれば話していたが、自分から切り出すことはなかった。

 福島自身の経験があったから周囲を見渡すことができたのか、それは記者には判断できなかった。感じたものを丁寧に、飾らない言葉で表した。その時の福島の雰囲気は印象に残った。

 その観察力は、相手を思う気持ちから出ているんだと記者は感じた。「優しいんだね」。思わずそう言わずにいられなかった。その言葉に福島さんは「えっ」といいながら、笑ってそれ以上は何も言わなかった。

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 集団行動とは、構成するメンバー全員が、気持ちをひとつにしないと成功しない。それは、集団行動をつくりあげた日体大の清原先生の理念、哲学によるもので、薫陶を受けた西野たちも、その理念をかみ砕いて自分たちのものにしていた。だからこそ「やらされて成功した集団行動」ではなく「自分たちでたどりついた集団行動」へ、稔ヶ丘高を導くことができた。取材を通してそう感じた。

 集団行動がもたらす産物がある。構成メンバーは隣の人を思いやり、後ろの人の息遣いから気配を感じる。列の端の人は、動く距離が長い。だから、常にメンバーは感覚として、自分以外の人の動きを頭に描く。自分は短い移動距離でも、端の人の移動距離を嗅ぎ分けながら、おのおのが動きの速さに繊細な調整を加える。それはもう、心の問題であり、それが伝われば、全体の動きは美しい調和として洗練されていく。

 メンバーがお互いを思う気持ちは目には見えない。見えないが、わずかな心配りは確かに存在すると空間を伝わるから、観客は何かを感じる。そして、内面から沸き上がる感情が生まれてくる。

 そして、集団行動から生まれた17歳の感性は、さらに進化を遂げようとしていた。チャレンジスクール稔ヶ丘高独自の形へ、昇華していく。

 記者には非常に大切にしている言葉がある。

 「年長者が後輩にしてあげられることは、自分が踏み台になって、自分の背中に後輩を乗せて、そこからの景色を見せてあげることだ」

 J1浦和レッズ社長から日本サッカー協会元会長、犬飼基昭さんから学んだ年長者としての矜恃だ。

 記者には、日体大の清原監督が、学生を背中に乗せ、いろんな景色を見せてあげる場面が目に浮かんだ。

 さらに、西野たちが稔ヶ丘高の生徒のために踏み台になっている光景が見えるようだった。踏み台を前に、おっかなびっくりそこに立ち、はじめて知る世界に心震わし、喜ぶ生徒の姿がイメージできた。

 そして今、福島たちリーダーは、途中から参加できなくなった仲間のために「この踏み台に乗ってみたら」と、声を掛けているように感じた。そこに乗るか、ためらうか、それは誰にも分からない。分からないが、この連鎖は、必ず形を変えて先へつながっていくと信じたい。

 演技は成功した。それ以上に、生徒たちの中で新しい鼓動が打ち始めた余韻が心に残った。ほんのわずかな時間、限られた生徒、学生、先生しか取材していない。すべてを知っているわけではない。それでも、取材を通して生徒や学生の気持ちは記者にも存分に伝わってきた。

 学校の職員の中には「無謀」とも感じていた課題に生徒は取り組み、やり抜いた。チャレンジスクールの生徒が、受けとめた17歳の夏は、それぞれの中で違う形をとりながら、残っていく。集団行動に参加した生徒も、参加しなかった生徒も、各々の胸の奥に灯った炎は、生涯の大切な思い出になる。そう心から願う。

 私たちは見守りたい。大いなる期待と、確かな希望を持って。(おわり)