平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)銅メダリスト、高梨沙羅(21=クラレ)が、ついにジャンプ界の頂点に立った。1回目100・5メートルでトップにつけると2回目は96・5メートルを飛び2回合計227・1点で、昨季最終戦から15戦ぶりの勝利で同競技で男女を通じて最多の54勝目に到達した。今季は何度も壁にぶつかり、勝利から遠ざかったが、2月の平昌五輪で銅メダルを獲得。勢いを味方に大記録をようやく引き寄せた。

 ジャンプ界で誰も見たことのない景色を1人、堪能した。11年12月3日にW杯デビューしてから104戦目、6年3カ月21日で大台にたどりついた。「まさか54勝目を今シーズン中に取れるとは思わなかった。長かった」。祝福に駆け付けた日本のチームメートに抱きつかれ、会心の笑みを浮かべた。「五輪の時のような感動をまた感じることができた」と感謝した。

 1回目に「良かったと思う」という会心のジャンプでK点(95メートル)を大きく越える100・5メートル。2回目は「少し踏み切りのタイミングが遅れ、上体が浮き上がった」と言うが、それでもK点を1・5メートル上回った。今季、何度も後塵(こうじん)を拝してきた平昌五輪で金、銀のルンビ(ノルウェー)、アルトハウス(ドイツ)を寄せ付けず、約1年ぶりの美酒に酔いしれた。「本当に自分でも驚いている。幸せな気分」とかみしめた。

 父寛也さんと二人三脚で「ジャンプ道」を歩いてきた。競技を始めた8歳のころから、元ジャンプ選手の父が伝え続けてきたことが、助走路姿勢の重要性だった。ジャンプは、助走路の滑りが生命線。時速80キロ台のスピードの中、完璧な助走姿勢で滑り、力強く飛び出し口(カンテ)から飛び出す。言われている「男子のようなジャンプ」は、「高梨家流」のユニーク練習で培われた。

 北海道・上川町にある自宅の庭には寛也さんが作ったジャンプ台があった。学生時代は、帰宅すると毎日、何本も何本も飛んだ。バランスボールの上に立ち、兄寛大と相撲を取った。スケート場に出向き、雪で即席の助走路を作りスキー板をはいて氷上に滑り降りたこともある。ダイエット用の振動器具の上に乗って助走姿勢を組むなど、徹底して教え込まれた。高梨は「より深いところからアドバイスしてくれるのですごく頼りになる。完璧主義なところは父に似ているのかな」と話す。

 今季は勝てない試合が続いたが、11日のオスロ大会(ノルウェー)4位後、オーストリアで合宿を行い軌道修正した。最後まで諦めずジャンプを追求し、未開の地に踏み入れた。