東京五輪代表争いをリードするのは2年のブランクから復帰した伊調馨(34=ALSOK)か、世界選手権連覇で現在女子最強ともいえる川井梨紗子(24=ジャパンビバレッジ)か。20日に東京・駒沢体育館で開幕するレスリングの全日本選手権。女子57キロ級の組み合わせ抽選は21日だが、2人の力は抜けており対戦する可能性は限りなく高い。注目の一戦を占った。

過去の対戦成績は伊調の3勝だが、この4年間は対戦がない。両陣営の関係者はそろって「過去は関係ない」と話す。当時の伊調は全盛期ともいえる状態だったが、リオ五輪で4連覇達成後は2年間休養。今年前半はパワハラ騒動の渦中にあり、練習もままならなかった。川井は伊調との対戦を避けて出場したリオ五輪63キロで快勝し、その後も力を伸ばしている。「普通にやれば川井の方が強い」という関係者は多い。

11月の強化合宿では、2人がスパーリングをしている。ポイントこそ僅差だったが、内容的には組手争いで川井が圧倒していたという。伊調得意の組手にさせず、圧力をかけ続けた。守りの強い伊調相手に川井も簡単にはポイントできなかったが「試合になれば、負ける感じはしない」と川井サイドは自信を口にした。

試合カンの問題もある。高いレベルの試合を続けている川井に対し、伊調はリオ五輪以降実戦は今年10月の女子オープンだけ。決してレベルの高くない大会だった。練習する日体大では世界レベルの選手ともスパーリングをしているが、公式戦とは違う。体力的にも全盛期にはほど遠い。

もちろん、現状は伊調自身も伊調サイドも分かっている。伊調に近い関係者は「照準にしているのは来年6月」と話した。仮に今大会で負けても、来年6月の全日本選抜とプレーオフで連勝すれば、世界選手権代表の座(ほぼ東京五輪代表の座)は手に入る。以前なら「強化委員会の推薦」で代表が決まったが、今年10月には明確な代表選考規定もできた。規定通りに勝てば文句はない。不安なく五輪を目指せる。

さらに、両者の精神面を指摘する声もある。緊張するのは川井の方だという見方。「打倒伊調」を五輪金メダルと並ぶ目標に掲げ、追い求めてきた川井が、そのライバルと大舞台で対峙したら。「普通にやれば勝てるだろうが、普通にできないのが全日本」という関係者もいる。

経験という意味でも伊調に分がある。リオ五輪では終了間際に逆転するなど数多くの修羅場をくぐってきた。10歳若い川井はリオ五輪も快勝するなど競った試合の経験は伊調に比べれば少ない。「失うものは何もない」という伊調に対し、川井が「勝たなければ」と意識しすぎれば有利な状況が逆転するかもしれない。

五輪金メダリスト同士、世界最高峰の戦い-。思い出すのは85年4月29日、柔道の全日本選手権だ。84年ロス五輪無差別級王者の山下泰裕氏と同95キロ超級覇者の斉籐仁氏が激突した。両者とも期待通りに勝ち上がり、決勝で対戦。ともに死力を尽くした戦いは、旗判定で山下氏が制した。

国民栄誉賞選手に若い世界王者が挑むという構図は今回と同じだ。当時は「勝ち逃げは許さない」という斉籐氏の言葉がクローズアップされ、対決ムードが大いに盛り上がった。今回も伊調対川井というだけでなく、その師である田南部力コーチと栄和人・前至学館大監督との「代理戦争」という見方もされる。パワハラ告発者と告発された側。対決ムードが、さらに沸騰する可能性もある。

ただ、2人の関係は「敵対」ではない。当時、山下氏と斉籐氏は「不仲」とも言われたが、事実は大きく違う。ともに認め合い、尊敬しあっていた。周囲は対決ムードをあおったが、本人たちは純粋だった。伊調と川井も同じ。そこに「敵対関係」はないはずだ。

川井は至学館大の10年先輩である伊調を「目標」にし「尊敬」してきた。レスリングが好きで、競技に対してストイック。同じリオ五輪金メダルの登坂絵莉や土性沙羅は吉田沙保里とともにテレビのバラエティー番組に出るが、川井は積極的ではない。勝つだけではなく内容にもこだわり、より高みを目指して自身を追い込む姿も伊調と同じだ。

伊調も後輩でもある川井の成長を喜んでいた。全盛期の13~15年、連勝を続ける中で3分2ピリオドをフルタイムで戦ったのは、川井と対戦した2回だけ。常に「強い相手と戦いたい」と話していた伊調だけに、川井との4年ぶりの対戦は楽しみなはずだ。

東京五輪代表争いがかかる試合だが、2人の対戦には勝ち負けを超越した見応えがある。かつての山下対斉籐と同じように。組み手争いで有利と見られる川井が伊調からポイントを奪えるか、ディフェンス力のある伊調が熟練の試合運びで勝機を見いだすか。「川井有利」の声はあるが、僅差の勝負になることは間違いない。見る者を熱くさせる歴史に残る試合が、もうすぐ見られる。