16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)女子団体銅メダルの伊藤美誠(18=スターツ)が女子初の2年連続3冠を達成した。混合ダブルス、女子ダブルスに続き、シングルスは史上最年少14歳170日で決勝に進んだ木原美悠(エリートアカデミー)を4-1と圧倒。準決勝は女子ダブルスの「相方」早田ひな(18=日本生命)を4-0で退け、日本のエース格として文句なしの力を示した。20年東京五輪の金メダル獲得へ、五輪選考シーズンを快調に歩み始めた。

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女子初の偉業をたぐり寄せ、高校卒業間近の伊藤が左拳を力強く振った。前日に女子ダブルスを制して一緒に喜んだ、早田とのシングルス準決勝は4-0。約4時間後、中2で初決勝だった木原の挑戦を正面から受け止め「年下の選手には絶対に負けたくない、優勝を取られたくないっていう強い気持ちがあった」。大一番を「めちゃめちゃ楽しかったです」と満喫した。

追われる立場で初めての日本一決定戦。7日間で3種目17試合に全て勝った。「どの選手も私を倒すっていう目的でやってくる」。木原と戦った決勝の第3ゲーム最終ポイントは、相手サーブをそのまま対角に打ち込む速攻。第4ゲームは9-3から落としたが、第5ゲーム0-1からの6連続得点で立ち直った。150センチと小柄ながら、ラケット両面を巧みに操る引き出しの多さが光る。ミスを恐れず攻める姿勢も不変だ。

昨秋のスウェーデン・オープンで、現世界ランク1位の丁寧ら中国トップ選手に3連勝。常に意識するのは強敵だ。スロースターターを自覚し、見直した成果は、早田との準決勝第1ゲーム開始からの4連続得点に出た。日々の鍛錬に、相手を問わず「『勝つ』よりも楽しんだ方が勝てる」という考え方を上乗せする。

リオ五輪5カ月後の17年1月には、同い年の平野美宇が全日本初優勝。もがく日が続く17年夏、練習の合間に伊藤はこう漏らした。

「精神的にきついんです。五輪後だとみんなが向かってくる。『普通にやってもダメじゃん』ってなって…。なんか、考えることがどんどん増えちゃった」

そこに「楽しさ」はなかった。「自分がいい感じでも、相手を見て、悪く感じちゃう」。同年秋には中国の下部リーグへ参戦。友人である本田真凜の誘いで足を運んだフィギュアスケート会場では、自然と選手の表情に目がいった。「絶対に体力を消耗しているのに、最後の最後まで笑顔でやっている。あれがすごいんです」。コート内外の数多くの刺激が、楽しむことを思い出すヒントになった。

最後まで笑顔だった今大会。20年東京五輪金メダルへ、今の伊藤は明るい。「中国人選手に何度でも勝てるようになる実力を持てるようにするのと、自分の手で(五輪の)出場権をつかみたい」。その視線は世界に向いている。【松本航】

◆全日本選手権の3冠 女子は60年度に山泉和子が24歳で史上初の偉業。シングルスを制した後、設楽義子との女子ダブルス、村上輝夫との混合ダブルスで頂点に立った。15年には21歳の石川佳純が54大会ぶりに達成。女子ダブルスは平野早矢香、混合ダブルスは吉村真晴とのペアだった。伊藤は女子ダブルスは早田ひな、混合ダブルスは森薗政崇と組み、女子史上初の2年連続3冠を達成。男子では斎藤清が82、83年度に記録している。

◆伊藤美誠(いとう・みま)2000年(平12)10月21日、静岡・磐田市生まれ。11年1月の全日本選手権一般の部では、10歳2カ月の史上最年少で勝利。16年リオ五輪女子団体では銅メダル。17年6月の世界選手権では、早田との「みまひな」コンビで女子ダブルス銅メダルを獲得した。大阪・昇陽高3年。世界ランク7位。150センチ。

◆伊藤と世界 伊藤は昨年1年間、世界ランクは5~8位で推移。年間通じて初めてトップ10を守った。昨年11月、スウェーデン・オープンで中国人選手3人を連破した時は、中国メディアに「『大魔王』が現れた」と報じられ、環球時報は「伊藤選手が中国チームの最強のライバルになることは疑いようがない」とした。日本のトップ選手には珍しくTリーグ参戦は見送り。「東京オリンピックで金メダルという結果を出すことが一番と考え、それまでの限られた時間を強化に専念すると決めました」と表明するなど、独自路線で世界を見据えている。