第99回全国高校ラグビー大会には、唯一の19歳ラガーマンがいた。憧れの花園で躍動した御所実(奈良)のプロップ島田彪雅(ひゅうが、3年)は16歳で、1度はラグビーを諦めた過去がある。東海大大阪仰星に入学するも1年足らずで不登校になり退学。だが、大好きだったラグビーを諦めきれず、御所実へ転学。そんな壮絶な人生に、ずっと寄り添った母・賀奈子さん(46)が聖地・花園のスタンドで当時を振り返った。

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黒色ジャージーを着て、島田彪雅は生まれ変わった。3年前の秋。16歳だった彪雅は、自室に引きこもった。未来が見えず、母・賀奈子さんは頭を悩ませた。

「トイレのときしか、部屋から出てこない。学校に行かないだけならともかく、閉じこもってしまったんで…。あんまり会話もなかったです、あのときの家庭は地獄でした」

15歳で胸を躍らせて入学した東海大大阪仰星だったが、うまくなじめず。16歳の誕生日を迎えた8月には、ラグビーの練習に行かなくなった。

「菅平(長野)の夏合宿は悲惨でした。嫌がる彪雅を私が無理やり…。車に乗せて『グズグズしてても仕方ない。ラグビー部を辞めるって言いに菅平まで行くで!』って。でも、あのときは辞めなかったですよね。ラグビー、大好きやったから」

だが、秋には学校を休むようになった。「もう学校に行くか行かないかは、どうでもよかった。なんとかして部屋から引っ張り出さないと…。だから『退学届、一緒に出しに行こう』って」。16歳の冬に退学。そこから先は、何も見えなかった。

「学校を辞めたとき『俺、働かないとダメかな?』って彪雅が聞いてきて。母子家庭だから…って考えすぎなんですよ、あの子は」。大好きなラグビーを続けてほしい-。母には、その一心しなかった。

「なんとか外に出てほしくて…。偶然、3歳上のお姉ちゃん(寿莉亜、22)が働いてた運送会社が12月のお歳暮のバイトを募集してたから『行ってみたら?』って。いや、もうそのときは、『お姉ちゃんと一緒なら大丈夫やから行ってこい!』って言うたと思います」

1カ月間、アルバイト生活を経験すると、気持ちは楽になった。「またラグビーがしたい…」。そんな気持ちが胸にわきあがってきた。

ラグビーがきっかけで結ばれた1歳下の仲間も、彪雅を奮い立たせた。御所実SO高居海靖(3年)は、3年前、壊れるぐらい島田家のインターホンを押した。

「海靖くんが毎日毎日、電話をくれて…。『彪雅くん一緒にラグビーやりましょうよ。今日、16時からの練習に来てくださいよ。勉強も一緒にやりましょうよ』って。電話をくれたら家まで迎えに来てくれて『到着しました!』って。その子が居たから、うちの子は今があるんです…」

1度はフェードアウトしたラグビー人生。重たい心の扉をこじ開けたのは母親の愛情、そして仲間の存在だった。20年1月7日、決勝の舞台でも「3番」を背負い、花園で奮闘した。

「3年前は考えられへん舞台にアンタは立ってるんやで、って。うちの家は地獄やったんやから。今はもう…。彪雅が寮から家に帰ってくるのが、楽しみで楽しみで…。ご飯もなんでも作って。夜な夜な仕事から帰ってきて、ビールを飲みながら彪雅の活躍してるシーンを見るのが、今の私の生き甲斐なんです」

母の思いは息子に届いた。「泣いても泣いても、うそじゃない。ラグビーボールを持って、彪雅は思いっきり走ってる…。こんな幸せが待ってるなんて思ってもなかったんです」。

タクシードライバーの賀奈子さんは、子どもを思ってハンドルを握っている。そんな支えがあったから、彪雅には今がある。

「夢ですよね? この現実はありえないんです。3年前、こんなことになるとは考えもできなかった。たった3年で…。こんなに人って変われるんですね。あのままの人生だったら彪雅は…。この道はないんです。強くなったなぁ彪雅…」

どんなに小さくたっていい。1歩前に踏み出せば人生は変わる。【真柴健】