日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

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羽生結弦の思わぬ行動に驚いたことがある。ピョンチャン(平昌)五輪プレシーズン最終戦の17年4月、フィギュアスケート国別対抗戦。一夜明け会見で、不意に「引退」の2文字を口にした。迎える五輪シーズンについて「『スケート人生の集大成になる』と言おうと思ったけど、考えてみればどの試合もいろんな経験、練習が詰まっている。何も気持ちは変わらない。1歩ずつ進んでいければ」。さらに「これだけ難しいことをやって、まとめなきゃいけない。ハイレベルな戦いだからこそ練習が楽しいですし、モチベーションも、もっともっと高くなっていく。引退とかそういうこと関係なしに、今、スケート、楽しいです」と続けた。

15年8月には「ソチで(金メダルを)取って、平昌で取って終わり」と発言している。だからこそ、さらりと口にした「引退」の言葉にどきっとした。この先のキャリアを今どう考えているのか-。発言の意図を理解しないまま記事は書けないと思った。会場の出口で待ち、声をかけた。「『引退とか関係なしに』とはどういう意味ですか」。彼は、歩きながらいったんこちらを向いたが、そのまま無言でバスに乗り込んだ。だが、しばらくすると、バスから降りて戻ってきた。「何でしょうか?」。

羽生の異例の行動に面くらったが、質問を続けた。「引退、という言葉をあなたが発したからには聞き流せません。来季での引退を現段階で考えていますか」。羽生は一瞬たじろいていたが目を合わせ、答えてくれた。「今は(進退について)考えていません。まだ決めていません」。「では、白紙と書いていいですか」と伝えると「いいです」。そして「聞いてくれて、ありがとうございます」と礼をして、バスへ戻っていった。自分の言葉が正しく伝わるよう願っているのだと、あらためて感じた日だった。

担当した15年11月からの約3年間は羽生にとって、いいことも悪いこともあった。その中で無礼を承知でストレートな質問を投げかけたこともあった。すべて丁寧に返してくれた。彼はどんな質問でも、質問する人の方向を向き、目を見て答えていた。思いを正しく伝えようと苦心した末に出る言葉は、どれも魅力的だった。

いま多くのアスリートがSNSを通じて自分の考えを発信する中、羽生は個人アカウントを持たない。コロナ禍の影響で20年世界選手権の中止が決まった3月12日、日本連盟を通じて「来シーズンに向け、今の限界の先へと行けるよう練習していきます」とコメントを出した。「今の限界の先」には何があるのか。次のシーズンが始まる時、適切な言葉で説明してくれるはずだ。【高場泉穂】