16年世界ジュニア女王の本田真凜(19=JAL)が曲違いのハプニングを乗り越え、11月の東日本選手権(山梨)に駒を進めた。右肩脱臼の痛みが残っている影響で順位は7位だった。

アクシデントは冒頭に起きた。大会パンフレットによると、フリー曲は昨季から継続の「ラ・ラ・ランド」(振付師ローリー・ニコルさん)だったが、ポーズを取り、いざ流れた曲が違っていた。すぐ気付き、慌てて審判席へ。続けて音響の担当者席へ全力滑走したものの、失格になる1分間では変更できないと判断したのか、腹をくくった。

「(審判から)1分たったら失格、と言われて。どうしよう!? こんなことある!? って思った」

会場で流れた曲は、3月にステファン・ランビエル氏の振り付けで練習を始めたものの、新型コロナウイルス禍で中断していたエキシビション曲だった。レディー・ガガの「アイル・ネバー・ラブ・アゲイン」。自ら違うCDを提出してしまい「フリーって書いてあったので…。久しく聴いてなかったから『ほかの人の曲が流れた』と思ったんですけど、めっちゃ走り回ってた最中に『私のエキシビやん』って。ビックリ」。慌てて本田武史コーチが更衣室へ走ったが「女子更衣室には入れない…」。妹の望結がバトンを受けたが、間に合わない。結局そのままスタートすることになった。2人が戻ってきた時には演技が始まっていた。

真凜は観念? してリンク中央へ戻り、同じ曲で演技を再開した。「最初の振り付け…何やったっけ? 最初のポーズも全然違うところで取ってた」と笑いながらも、驚異のアドリブで演じていく。3日に行われたジャパン・オープンを右肩脱臼で欠場した影響で、ジャンプ練習を始めたのは大会前日の8日。この日も大事を取って2回転ジャンプだけで挑むことを明言していたが、冒頭いきなり3回転トーループに成功。続く3回転トーループ-2回転トーループも決め、アクシデントへの対応力と回復力を見せつけた。

「ステファンに作ってもらって、3月の帰国前に滑っただけで。スピンもジャンプも入れたことがない。もう『やるしかない』と思いつつ、ジャンプ7個、どうやって入れよう…。アドリブで、もう頭がいっぱいでした」と回想し「振り付けも、ほぼ自分で考えました。即興で。フリーにしようと思って作ってもらってたんですけど、途中までしか振り付けしてなくて」

最後に繰り出したジャンプが2回転フリップ-2回転トーループ-2回転トーループと、1本、2回転トーループが多くなってしまったのも、愛嬌(あいきょう)。「審判の皆さんがバタバタしててキスクラ(キス・アンド・クライ)で『点数が出えへん、失格や~』と思った」と最悪の事態も覚悟しながらも、フリー93・66点が出た。前日のショートプログラム(SP)47・29点と合計140・95点で7位。全日本選手権(12月、長野)への第1関門を通過した。

驚きの演技後は「大満足です」と真凜スマイル。同じ第3グループで、今大会がシニアデビューとなった妹の望結(16=プリンスホテル)と競演し、ともに東日本選手権へ進んだ。しかし、妹の演技については「忘れました。通った(予選通過した)よな? あとでYouTubeで見ます」と笑い飛ばした姉。3歳下の望結から「前代未聞ですって! でも、衣装を忘れたり、ハプニングがある方が、お姉ちゃんらしい。落ち着いて滑っていたので良かったです」と冷静に言われてしまった。

何はともあれ、次戦へ「間違った曲を出さないことと、けがを治すことが目標です。今の状態では良くないと思っているので、もっと練習しないといけない。やっと普通のコメントできた~。ようやく落ち着きました」と笑顔を見せ“劇場”を後にした。【木下淳】