白血病から復帰した池江璃花子(20=ルネサンス)は57秒77で3年ぶりに優勝した。400メートルメドレーリレーの代表選考を兼ねており、リレー派遣標準記録は57秒92。このタイムを突破して優勝したことで、メドレーリレーの代表に内定した。自ら24年パリ五輪を目指すと話していた中で、奇跡的な復活V。東京五輪代表は大会後、選考委員会などをへて正式に決まる。

優勝とタイムを確認した池江は、涙が止まらなかった。プールから出た後、無観客ながらスタンドで応援した関係者に両拳を握って感謝。その後も、しばらく声を上げて泣いていた。

「まさか、100で優勝できると思ってなかったですし、5年前の五輪選考会よりも、ずっと自信もなかったし。自分が、勝てるのは、ずっと先のことだと思ってたんですけど、勝つための練習もしっかりやってきましたし、最後は『ただいま』って気持ちで入場してきたので、自分がすごく自信なくても、努力は必ず報われるんだなと思いました」

3年ぶりとなった日本選手権で、池江は4種目にエントリーした。最初の種目が“本職”の100メートルバタフライだった。3日は予選を全体2位の58秒68で、準決勝を同3位の58秒48で通過していた。復帰後初めて同種目を泳いだ2月の大会から0秒96タイムを上げていた。準決勝の後には「しっかり上位に食い込めるように。今の自分は前から言っている通り、この東京五輪がメインではないので、しっかり経験を積んで、準決勝よりも速いタイムで泳げたらいいな」と冷静に話していた。24年パリ五輪を大目標に掲げており、東京五輪はその途上にある位置付けで臨んでいた。

この種目は、派遣標準記録57秒10を突破して2位以内で代表内定。こちらには届かなかったが、リレーで自国開催の夢舞台への切符をつかんだ。【益田一弘】

◆競泳のメドレーリレー 4選手が異なる4泳法をリレーして競う種目。泳ぐ順番はスタートで飛び込みのない背泳ぎが最初で、平泳ぎ-バタフライ-自由形と続く。第2泳者以降は前の泳者がタッチする前にスタート台から足を放すと失格。引き継ぎのうまさも、タイムを大きく左右する。五輪では、男女とも1960年ローマ大会から400メートル種目が採用された。

選手層の厚さが求められることもあって、日本は男女ともコンスタントに決勝に進出している。女子は2000年シドニー大会(中村真衣、田中雅美、大西順子、源純夏)12年ロンドン大会(寺川綾、鈴木聡美、加藤ゆか、上田春佳)で銅メダルを獲得。男子も過去に銀1、銅3と計4個のメダルを獲得している。

大会の「トリ」として最終日最終種目で行われるのが恒例。五輪や世界選手権ではメドレーリレー要員として選出された選手が個人種目に出ることもある。

<池江の経過>

◆19年2月4日 オーストラリア合宿中に疲労が抜けず現地で検査を受ける。

◆同8日 緊急帰国。白血病と診断されて入院。

◆同12日 自身のツイッターで白血病を公表。「信じられず、混乱している状況です」。

◆同3月6日 ツイッターで治療について「思ってたより、数十倍、数百倍、数千倍しんどいです」とつづる。

◆同4月8日 日大入学と同水泳部入部を発表。

◆同5月8日 公式HPを開設し「最後まで頑張りたい、負けたくない」と記す。

◆同9月6日 日本学生選手権を会場で3日連続の応援。男子総合優勝に「とてもうれしかったです」。

◆同12月17日 公式HPで退院を発表。「2024年のパリ五輪出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたい」。

◆20年3月17日 406日ぶりプールに入ったことをSNSで報告。「言葉に表せないぐらいうれしくて、気持ち良くて幸せ」。

◆同5月18日 短髪を初披露し「今のありのままの自分を見てもらいたい」。

◆同7月2日 オンラインで報道陣に練習公開。10月の日本学生選手権でのレース復帰を目標に掲げた。

◆同4日 20歳になる。

◆同23日 延期された東京五輪開幕1年前の国立競技場でのイベントに登場。真っ暗なスタジアムに純白の服で降り立ち、3月にギリシャで採火された聖火のランタンを掲げた。4分10秒のスピーチで「1年後、オリンピックやパラリンピックができる世界になっていたら、どんなにすてきだろうと思います」。世界に祈りのメッセージを発信。

◆同8月29日 東京都特別大会(東京辰巳国際水泳場)の50メートル自由形でレース復帰。26秒32で同組1着、全体の5位に入って涙を流した。

◆同10月2日 復帰後の目標だった日本学生選手権に初出場。女子50メートル自由形で4位に入る。

◆21年2月7日 ジャパン・オープンに出場。50メートル自由形で2位。復帰以来初の表彰台に立ち「次は1番を狙いたい」。

◆同8日 白血病と診断されてからちょうど2年。SNSで「2年前の今日。人生のどん底に突き落とされた日。あの日を一生忘れることはできません」。