国際オリンピック委員会(IOC)は2日、コペンハーゲンで総会を開き、2016年夏季五輪の開催都市に南米で初開催となるリオデジャネイロ(ブラジル)を選んだ。1964年以来2度目の開催を目指した東京は、IOC委員による投票の2回目で落選した。

 石原慎太郎知事は記者会見で、20年五輪以降の立候補について「都民、国民の皆さん、JOC(日本オリンピック委員会)の皆さんと話しながら積極的に考えていくべき問題だ」と述べたものの、明言を避けた。自らの辞任については「絶対にない」と断言した。

 東京が国内候補都市に決まった06年8月には、再挑戦の可能性について「もちろんやります」と話していた。

 JOCの竹田恒和会長はまず敗因の分析に着手するとした上で「次に出るとしてもいつ出るのか、どういう形で出るのかは慎重に検討し、今回の招致活動を無駄にしないで将来花を咲かせたい」と、五輪開催に意欲を見せた。

 開催地を決める投票は過半数を獲得する都市が出るまで最少得票の都市を除きながら続けられた。1回目は東京が22票の3位で通過し、有力視されたシカゴ(米国)が18票の最下位で落選する波乱。2回目で東京が最下位の20票で姿を消し、決選投票はリオが66票-32票でマドリード(スペイン)を破った。

 リオはルラ大統領が「今回はブラジルの番だと思う。不均衡を是正してほしい」と訴えて悲願を達成した。シカゴはオバマ大統領夫妻がスピーチしたが、完敗した。

 東京は半径8キロ圏内にほとんどの競技会場を集めたコンパクトな計画を掲げるなど、綿密な開催計画を策定。招致プレゼンテーションは15歳の体操女子選手、三科怜咲さんを登場させて若者の将来を考えた大会をアピールし、鳩山由紀夫首相は政府による財政保証とともに環境重視の姿勢を強調した。しかし、北京五輪から8年後のアジア開催となる不利の中での立候補は、開催意義を明確にできずに苦しんだ。激しさを増したコペンハーゲンでの終盤のロビー活動でも後れを取った。

 鳩山首相は政府専用機で3日午前に帰国した。