故山田重雄監督と亡くなった米田一典コーチ(享年61歳)の下、1976年モントリオール五輪で金メダルに輝いた女子日本代表の一員だった荒木田裕子・日本バレーボール協会女子強化委員長(58)は「山田さんは世界一の指導者と言われたが、ヨネさんも世界一のコーチと言われていた」と回想した。

 日本の粘り強い守備を生んだレシーブ練習では、強打をコースに巧みに打ち分け「とにかく打つのがうまかった。選手が少しでもレシーブがうまくなるように打つ技術があった」と荒木田さんは振り返る。名将山田監督の右腕は気さくで誰からも愛される人柄だった。

 経営合理化のため2001年に廃部した名門、日立では最後の監督に。企業スポーツからの脱却を目指して設立した地域密着型のクラブチームは昨夏に本拠地を高松から仙台に移し、かつて日立の愛称だった「ベルフィーユ」と名付けて再出発したばかりだった。荒木田さんは「志半ばだったと思う」と故人の無念を推し量った。