1964年東京五輪のバレーボール女子で金メダルを獲得し「東洋の魔女」と呼ばれた日本代表で主将を務めた中村昌枝(なかむら・まさえ=旧姓河西=かさい)さんが3日午前0時半、脳出血のため東京都内の病院で死去した。80歳だった。山梨県出身。葬儀は近親者で行う。

 山梨・巨摩高から日紡足利に入り、54年の日紡貝塚発足に合わせて移籍。9人制から6人制に切り替えて世界を目指す故大松博文監督の方針で、アタッカーからセッターに転向した。61年の欧州遠征での快進撃で「東洋の魔女」の異名が生まれた日紡貝塚の中心選手だった。

 大松監督の下で日紡貝塚中心に編成した日本代表では、62年の世界選手権で優勝した。

 引退後はママさんバレーの普及、発展に尽力した。日本バレーボール協会では2003年に女子強化副委員長に就任し、04年アテネ五輪にチームリーダーで参加。08年に世界バレーボール殿堂入りした。