<アーチェリー・世界選手権最終選考会>◇最終日◇17日◇静岡・掛川市つま恋多目的広場

 84年ロサンゼルス五輪銅メダル、04年アテネ五輪銀メダルの山本博(46=日体大教)が2大会ぶり14度目の世界選手権(9月、韓国)出場権を獲得した。4位とわずか2点差で2位タイに滑り込み、3人に与えられる切符を勝ち取った。46歳6カ月での出場は、01年大会に48歳7カ月で出場した松下和幹に次ぐ2番目の高齢。全日本アーチェリー連盟によると、出場14回は世界最多のため、ギネスブックへの申請を検討する。

 山本が最後に勝負強さを見せた。9人で始まった最終選考会最終日。1戦ごとに最下位が脱落する方式で、残り4人による最終第6戦を迎えた。世界選手権出場枠は3。山本は隣の北京五輪代表の古川と98点で並んでいた。最後の1本。2人がほぼ同時に矢を放つと、山本は10点満点、古川は8点。この瞬間、世界選手権代表復帰が決まった。「すげえな、46歳!」。自身の点数を確認した山本の声が弾んだ。

 試合直後に「古川と競っていたんだ」と、初めて気づいたという。実は「昨日から『ほかの選手の点数は絶対に見ない』と決めていた」。周囲の状況に一喜一憂すれば、集中力が途切れる。自分自身との戦いだけに集中した。だから筋肉の使い方の微妙な狂いを敏感に感じ、修正できていた。「アテネ五輪の時と同じような感覚」と振り返った。

 46歳になった。06年から日体大で教壇に立つなど仕事に割く時間が増し、1月にはレーシック手術を受けて乱視を矯正するなど環境も身体能力も変化した。しかし「力はアテネの時よりも落ちていない」と断言する。今回は選考会1週間前から好きな酒を断ち、体重もアテネ五輪当時より微増の73~74キロを維持した。

 全日本連盟によると、前回出場した05年の13度目で、世界選手権最多出場となっていた。ギネスブックに申請したが、国際連盟に古い資料が残っておらず未公認となった。今回さらに1回積み重ねることになり、全日本連盟の島田専務理事は「あれから4年。資料が増えているかもしれない。もう1度申請するか検討したい」と話した。山本は「回数は気にしない。毎回、新鮮な気持ちで出たいから。ロンドンにも出たい」と笑った。北京五輪代表落選も、悲願の五輪金メダル獲得への試練だと思っている。【高田文太】