<競泳:短水路日本選手権>◇11日◇東京・辰巳国際水泳場

 病魔を乗り越えた31歳の萩原智子(山梨学院)が、ロンドン五輪へ向けて復活を告げた。女子50メートル自由形予選で24秒84の短水路(25メートルプール)日本新記録を樹立。決勝では24秒90と記録更新はならなかったが、4月の日本選手権で五輪切符を争う伊藤華英らライバルを退けて優勝。00年シドニー大会に続く3大会ぶりの五輪へ一気に視界が開けた。男子100メートル平泳ぎで立石諒(22=NECGSC玉川)が、北島康介の記録を塗り替える57秒20の日本新記録をマークした。

 元祖アイドルスイマー、ハギトモが久々に笑った。午前の予選。長いリーチ、大きな伸びのある泳ぎで、出した記録は24秒84。上田春佳の持つ記録を0秒05更新し、1年半ぶりに同種目の日本記録ホルダーの座を奪還した。プールから上がると「ベストが出ればいいなって思っていたので、びっくりしてます。調整せず、疲れがある中でのレースでした」と目を丸くした。

 午後の決勝も伊藤、松本ら昨年の世界選手権代表組を抑え、24秒90の好タイムで優勝。表彰台で優勝メダルを首にかけてもらうと自然と表情が緩む。「(伊藤秀介)コーチから最低でも自己ベストで優勝しなさいって言われてました。クリアできたかな」。病魔を乗り越え、ようやく心から笑った。

 昨年4月に子宮内膜症と卵巣膿腫(のうしゅ)で手術を受けた。6月下旬に山梨県の大会で復帰したが、練習と体調管理の両立に苦しんだ。昨年11月と1月に2度、ホルモン剤の投与治療を受けたが、副作用に悩まされた。「情緒不安定になっちゃって。1月はびっくりするくらい泣いた」。

 体がだるく、練習でスピードが出ない。1月の記録会は競技人生最悪の結果だった。五輪を前に大きな不安に打ちのめされた。そんな萩原を支えたのは仲間だった。カラオケで一緒に歌い、泣いてくれた友人までいた。「一緒に頑張ってくれている友達、指導者、家族がいる。吹っ切れました」。薬の副作用が抜けると、キレのいい泳ぎが戻った。

 4月で32歳。日本選手権は100メートル自由形に五輪出場権をかける。五輪切符をつかめば、00年シドニー以来12年ぶり。しかも男女通じて競泳史上最高齢選手になるが、萩原は「他種目では頑張ってる選手がいますから」とスピードスケートの岡崎朋美、陸上の室伏由佳らの名前を挙げ、「まだまだできるって刺激をもらっています」。日本記録に復活の優勝-。泣いたハギトモの逆襲が、笑顔とともに始まった。【佐藤隆志】

 ◆萩原智子(はぎわら・ともこ)

 1980年(昭55)4月13日、甲府市生まれ。山梨学院大付高-山梨学院大。99年パンパシ200メートル背泳ぎ、02年同200メートル個人メドレー優勝。00年シドニー五輪200メートル背泳ぎ4位、200メートル個人メドレー8位。04年にアテネ五輪出場を逃し、引退。09年6月に現役復帰。10年4月の日本選手権で50メートル、100メートル自由形で3位。8月のパンパシで日本代表入りし、400メートルフリーリレーで3分38秒86の日本新記録。11月のアジア大会で3分37秒90とさらに記録更新。家族は夫。身長178センチ。