7月27日のロンドン五輪開幕まで、18日であと100日に迫った。激しい五輪代表選考も、いよいよ佳境に突入。柔道は全日本選抜体重別選手権(5月12、13日、福岡国際センター)ですべてが決着する。「ポスト谷亮子」を争う女子48キロ級は、世界選手権2連覇の浅見八瑠奈(24=コマツ)と、09年世界女王の福見友子(26=了徳寺学園職)の戦いが最終章。各競技の熱い対決に焦点を当てた。

 もつれた戦いも、いよいよ最終章を迎える。浅見と福見。48キロ級で、長らく君臨した谷の引退後、世界女王の座を分け合ってきた2人が、1人にしぼられる。

 3歳上の福見を「代表権を取る上で、破らないといけない相手」と見る浅見。その浅見に「自分自身で壁をつくっていたが、やれることが分かった」と自信を取り戻した福見。世界ランクは福見が1位で、浅見が2位。対戦成績は4勝4敗の五分。どちらが切符をつかんでも、金メダル候補には変わりない。世界でもっとも厳しい代表争いに、雌雄を決するときが来た。

 ロンドンは、谷なき初めての五輪。2人は、その元女王によって運命の歯車を動かされてきた。福見が柔道を始めたきっかけは、92年バルセロナ五輪だった。銀メダルの谷に「こんなに小さい選手でもメダルに届くんだ」と驚いた母早苗さんから、勧められた。

 浅見の意識を変えたのは96年アトランタ五輪。決勝でケー・スンヒ(北朝鮮)に敗れた谷を見て「世界選手権を何度も優勝しているのに、五輪で勝てない。あれだけ強くても、金メダルを取るのがすごく難しい大会なんだ」と、五輪の偉大さを知り、目指し始めた。

 2人を強く結び付けたのも、先輩の存在だった。16歳で谷の65連勝を止めた福見は02年以降、低迷した。1回戦負けが続き、柔道ノートに「自分を見失った」と記したこともあった。だが、07年全日本選抜体重別でもう1度、谷に勝った。結局、世界代表には選ばれなかったが「あの大会が今までで一番体が動いた」。偉大な存在を乗り越えた瞬間。谷に1度も勝てなかった浅見は、そんな福見の姿に「あこがれた」と言う。

 世界選手権で浅見に2連覇を許しながら、1月のマスターズ直接対決で勝って踏みとどまった福見は「小さいころからずっとやってきた自分を信じたい」と言った。1月に左膝を痛め、4カ月ぶりの実戦となる浅見は「練習ができることが、当たり前じゃないと分かった。もう負けたくない」と言い返した。五輪の決勝以上に熱く厳しい戦いは5月13日に、決着を見る。【今村健人】