<カーリング:日本選手権>◇最終日◇17日◇札幌市どうぎんカーリングスタジアム

 男子決勝でチーム北見は4-8でSC軽井沢クに敗れ、4連覇と同時に3月の世界選手権出場権を逃した。試合後、スキップの敦賀信人主将(35)が現役引退を表明。カーリングが正式種目に復帰した98年長野五輪では、20歳で日本代表のスキップを務めるなど一世を風靡(ふうび)した。男子日本代表を背負ってきた「ミスターカーリング」が、ついに競技の一線から退く。

 「初めて僕自身、発表しますが…。今回の日本選手権が最後だったので…、若い選手に勝たせて…。世界選手権に連れて行ってあげたいと思っていました…」。準優勝に終わった試合後、涙をこらえ言葉をつなげていくうちに、敦賀の目が真っ赤に染まった。

 98年長野五輪。弱冠20歳ながら、試合を決めるスキップとして出場した。準決勝進出を懸けた米国戦で、わずか3センチの差で敗れて5位。最後の一投を投げ終え、涙を流すシーンが日本中の感動を呼んだ。「カーリング」を有名にした原点から15年。「(14年世界選手権につながる)日本選手権や北海道選手権には出場しません」と声を詰まらせながら、日の丸への挑戦に終止符を打った。

 昨年10月のパシフィックアジア選手権の日本代表決定戦が、引退を決断する引き金になった。それまでの同選手権出場権は、前年の日本選手権優勝チームに与えられていたが、突如代表決定戦を行うことに決まり、その日程が地元ホタテ漁の最盛期と重なった。漁業で生計を立てるだけに、やむを得ず代表決定戦を辞退。当時も「やめようと思った」(敦賀)というが、今年も10月よりさらに忙しい9月に代表決定戦を実施することが決まり、家業との両立は不可能と判断した。

 来年のソチ五輪に向けた日本代表決定戦(開催地、試合方式未定)については「他のメンバーが出たいということであれば、サポートしたい」と話した。常々「ソチ五輪で若い選手たちに感動を味わわせたい」と言いながらプレーし、長野以来4大会ぶりの五輪出場に意欲を見せてきた。それでも今回は、引退の理由からも選手としての出場は難しく、このまま氷上から去ることになりそうだ。

 「(他のメンバーを)世界に連れて行ってあげたかった…」。敦賀は最後に、もう1度、声を振り絞った。涙で日本にカーリングの存在を知らしめた先駆者が、最後も涙で別れを告げた。【中島洋尚】<敦賀信人(つるが・まこと)アラカルト>

 ◆生まれ

 1977年(昭52)11月3日、常呂町(現北見市)出身。

 ◆カーリング歴

 常呂中2年時に始めて、翌年の全日本ジュニア選手権で優勝。

 ◆主な大会成績

 97年世界ジュニア選手権は4位で、ベストスキップに選ばれた。日本選手権では10~12年で3連覇。

 ◆長野五輪

 20歳でスキップ(主将)として出場。準決勝進出をかけた米国戦では、最終エンドのショットで3センチ差で敗れ5位に終わった。

 ◆漁師

 00年に北海学園北見大を卒業後、家業の漁業を継ぎながら「アイスマン」(現チーム北見)に所属。

 ◆家族

 弟の浩司はカーリング選手として北見協会に所属している。

 ◆サイズ

 170センチ、68キロ。