<フィギュアスケート:ネーベルホルン杯>◇26日◇ドイツ・オーベルストドルフ

 3度目の五輪へ、フィギュアスケート元世界女王の安藤美姫(25=新横浜プリンスク)が確かな1歩を踏み出した。3季ぶりの復帰戦となったSPで59・79点をマークして2位。3回のジャンプも含めて大きなミスなく終え、13年世界選手権では8位相当の高得点を記録した。ソチ五輪出場資格として国際スケート連盟(ISU)が定める最低技術点(SP20点)も30・13点で軽く突破。4月に女児を出産し、母として挑むラストシーズンが始まった。

 目は真っ赤にはれていた。緊張からの解放、支えてくれた家族、ファンへの感謝。2年ぶりの公式大会での滑りが、安藤の心を揺さぶった。「なんか泣いてしまいました。ホッとして。これで1歩踏み出せたかな」と、はにかんだ。

 午前7時すぎに最終練習を終えた。「リラックスできているな」。そう感じていた体が変わっていた。同11時すぎの演技に合わせ、化粧をして、ゴールドの衣装を着て、金の髪留めをした。そして「ミキ・アンドー」のアナウンス。リンクに立つと、違う自分がいた。「どうなるんだろう…」。十分な調整ができなかった体はこわばった。

 ドイツ連盟から招待の知らせが届いたのは13日。従来、2週間の調整期間が絶対で「棄権も考えた」。だが、好意は同時に好機だった。日本連盟が12月の全日本選手権までの獲得を代表選考条件にする最低技術点をクリアする機会だった。

 演技開始前、緊張で口が乾くのか、下唇をなめた。SPの曲はフランク・シナトラの「マイ・ウェイ」。自分らしさを表現する選曲だが、「感情を出す余裕がなかった」。ミスしないことを優先。スピードを抑え、正確さを増す。冒頭の3回転ルッツと2回転ループの連続ジャンプを降りると、健在ぶりを300人のファンの目に焼き付けた。

 4月に出産。「未知の世界。体形も変わっている」と練習方法を模索した。アキレスけんの痛みを感じると「まだルッツに挑戦するのは早いな」。コーチ不在で、自らの体と対話し、時を待った。そして、痛みが引いた今月1日に3回転ルッツ、一気に連続ジャンプも成功。短期間調整の難度を、急速な復調が勝った。

 愛娘はドイツに連れてきた。「ホテルに帰って顔を見るとホッとする」という。母には今日27日にフリーが待つ。「絶対に4分間は持たない。体力的にどうなるかわからない。気力で頑張れたら」。再び、未知の世界に足を踏み入れる。【阿部健吾】

 ◆ソチ五輪に出場するには

 日本の女子シングルの枠は「3」。日本連盟は選手選考方法として、全日本選手権出場を最低条件とする。優勝で決定。2、3位は、GPファイナルの日本人最上位者と合わせて選考。それでも決まらなければ、同大会終了時点での世界ランク日本人上位3人、ISU(国際スケート連盟)シーズン最高スコアの日本人上位3選手から選考する。安藤が全日本選手権に出場するには、予選のブロック大会(関東選手権、東日本選手権)を通過する必要がある。同時に、全日本選手権終了時までにISUが定める五輪出場への最低技術点の獲得も求められ、国際大会での突破が必要。

 ◆安藤のSP

 現行採点法になった04-05年シーズン以降で、SPを滑ったのは今大会で40大会目(ISU非公認大会含む)。59・79点は自身22番目の得点になる。最高点は06年全日本選手権の69・50点。ISU公式の最高点は07年世界選手権の67・98点。ネーベルホルン杯は国際B級大会で、得点はISU公式記録とはならない。