バレーボール76年モントリオール五輪で女子日本代表コーチとして金メダルを獲得し、84年ロサンゼルス五輪では監督として同代表を銅メダルに導いた米田一典氏が26日午後1時42分、肺がんのため仙台市内の病院で亡くなった。61歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行われ、後日お別れの会が開かれるという。

 米田氏は、故山田重雄氏の後を受けて75年から名門日立の監督に就任。常勝軍団に育て、2度就任した女子代表監督でも、小島孝治氏に次ぐ通算204勝(108敗)の歴代2位の勝ち星を残した。76年五輪で山田監督と米田コーチの下、金メダルに輝いた荒木田裕子・日本協会女子強化委員長は「山田さんは世界一の指導者と言われたが、ヨネさんも世界一のコーチと言われていた」と回想した。

 ただ、その後は苦労が続いた。01年5月、経営合理化のためにチームが廃部。05年には高松市で地域密着型の女子クラブチーム「四国エイティエイツクイーン」を結成したが昨年、資金難に陥り活動を停止した。

 同7月に本拠地を仙台に移し、日立時代の愛称を取った「仙台ベルフィーユ」として再出発した。だが、震災の影響でスポンサー探しに苦しみ、その最中の9月16日に体調を崩して監督を退いた。療養生活中もチームを心配し続けたが、復帰はかなわなかった。

 ◆米田一典(よねだ・かずのり)

 1950年(昭25)6月24日、広島市生まれ。崇徳高校3年で主将として高校総体、国体の2冠。法大に進学し、卒業後は女子の日立、ダイエーの監督を歴任。84年に女子日本代表監督に就任し、ロサンゼルス五輪で銅メダル、92年バルセロナ五輪で5位入賞に導いた。