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王子様錦織が世界をつかんだ/テニス

デルレービーチ国際選手権で強烈なリターンを見せる錦織圭(AP=共同)
デルレービーチ国際選手権で強烈なリターンを見せる錦織圭(AP=共同)

<男子テニス:デルレービーチ国際選手権>◇17日◇米フロリダ州デルレービーチ

 「テニスの王子様」が世界をつかんだ! 世界244位の錦織(にしこり)圭(18=IMG)が、日本男子として史上2人目のツアー優勝を遂げる快挙を達成した。元世界4位で、今年の全豪8強のジェームズ・ブレーク(28=米国)を3-6、6-1、6-4の逆転で破り、92年4月韓国オープンでの松岡修造以来、日本男子16年ぶりのツアー制覇を成し遂げた。18歳1カ月は、98年にレイトン・ヒューイット(オーストラリア)が16歳で優勝して以来の若さ。10代で優勝したボルグ、ベッカーら名選手たちに仲間入りした。

 信じられない。ツアー本戦出場6大会目の18歳が世界をつかんだ。初めてのツアー優勝ポイント。元世界4位(06年11月時点)のブレークのフォアがネットにかかると、錦織はコート上で思わずしゃがみ込んだ。「テニス人生で最高の大会。本当にうれしい」。16年ぶりの日の丸がスタンドで誇らしげに振られた。

 世界のテニス界を驚かせた。フェデラーやナダルもできなかった18歳1カ月での初優勝だ。それも世界244位が予選から8連勝の快進撃。決勝では、ツアー10大会の優勝を誇るブレークを第2セットから手玉に取った。強烈なフォアと変幻自在のショットで、強豪をほんろうした。「第2セットから自信が戻ってきた。最終セットで優勝を意識した」と堂々の逆転勝ちだ。

 昨年、初めて一般大会にフル参戦した。ジュニアとは違うタフさに加え、体がまだ成長期にあるため腰痛を患った。今年1月のマイアミの大会では、準々決勝後に腹痛を起こし嘔吐(おうと)。準決勝は棄権した。今年2月のデ杯初代表は、腰痛で辞退など、決して万全ではなかった。それでも「疲れは感じなかった」と、最高の集中力を発揮した。

 早くから注目されていた才能が一気に開花した。01年、11歳の時に全国小学生選手権で優勝し、偉大な先輩プレーヤー松岡修造の目に留まった。松岡氏が自ら主催するキッズキャンプに招待し、世界への王道を伝授した。日本テニス協会の盛田正明会長が私財で築いた「盛田テニス基金」の援助で、松岡氏と同様に米国へ渡った。

 米国では、シャラポワやアガシが育った、フロリダにあるボロテリーアカデミーを本拠に修行を積んだ。異文化と英語で、最初はホームシックにかかった。「帰りたかった。でも、テニス漬けの生活が忘れさせてくれた」。周囲はすぐに才能を見抜いた。錦織が出る大会には、世界のエージェントが群がり、現在世界1位のフェデラーや同2位のナダルが4大大会決勝前に練習相手に指名した。フェデラーは錦織を「非常に豊かな才能を持っている」と評価しているという。

 敗れたブレークも「自分が18歳の時を考えると驚きだ。将来は輝いている」と絶賛した。この優勝で、世界ランクは1大会で100位以上急上昇し、131位になった。松岡氏以来の2けたランクも目の前。6月9日の世界ランクで決まる、北京五輪出場も夢ではない。「松岡さんを超えたい」。歴史を塗り替える可能性を持ったミラクルボーイの快進撃は、まだ始まったばかりだ。

[2008年2月19日9時6分 紙面から]

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