1987年に第1回大会が行われたワールドカップ(W杯)は、過去8大会が開催され、多くのスターが誕生しました。今週はラグビージャーナリストの村上晃一氏(54)が、日本大会の主役候補5人を紹介します。初回は3度の優勝を誇るニュージーランド代表の期待の新星、リーコ・イオアネ(22)です。

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世界最強の名をほしいままにするニュージーランド代表オールブラックスは、日本で開催されるラグビーW杯で大会史上初の3連覇を狙う。歴史に名を刻むスターがそろうが、たった1人、注目選手を紹介するのであれば、WTBリーコ・イオアネをあげたい。オールブラックスが連覇を達成した2015年大会後に現れた新スターだからだ。

16年11月のイタリア代表戦で、19歳239日という若さでテストマッチに出場したが、これは、オールブラックス史上8番目の若さでのデビューだった。15年には17歳で7人制同国代表に選ばれている。タックラーを置き去りにする爆発的なスピード、走るコースを変幻自在に変えるランニングスキル、トライへの嗅覚は、オークランド・グラマースクールの生徒だったころから注目されていた。

オールブラックスでのデビュー後は、24試合で22トライという驚異の決定力を見せつけている。18年6月、ニュージーランドのダニーデンで行われたフランス代表戦では、12分間に3トライという離れ業もやってのけた。リーコが過去の名WTBと違っているのは、CTBでもプレーできるパススキルなど、器用さを兼ね備えていることだ。

スーパーラグビーのブルースでも活躍し、17、18年は10トライずつ。19年もトライを量産。3月9日の日本チーム、サンウルブズ戦ではやすやすと3トライを奪った。

RIEKOと書いて「リーコ」と読む。日本人ならリエコと読むつづりだ。兄はアキラ・イオアネ。兄弟は日本ラグビーと深いつながりがある。父エディー・イオアネは元サモア代表、母・サンドラは女子ニュージーランド代表のラグビー選手だった。エディーは94年から98年度、当時東日本社会人リーグに所属していたリコーでプレーした。

その時の監督だった水谷真氏は日本の生活に慣れないエディーを家族ぐるみで支えた。その感謝の気持ちから、エディーは息子たちに水谷氏の子供たちの名前をつけた。本当はアキラとレイコなのだが、水谷氏が「それは日本では女性の名前だから、変えたほうが良い」とアドバイスし、文字を入れ替えてリーコになったという。

18年秋、オールブラックスの一員として来日したリーコは、日本でのプレーについて「お父さんがすごく喜んでいます」と語った。そんな深い縁のある日本での、自身初のW杯である。気持ちは高ぶるだろう。

しかも、オールブラックスは、フィールドのどこからでも攻撃を仕掛け、タッチライン際のスペースを作るように各選手が動くスタイルだ。当然、リーコがボールを持つ回数も多くなる。そして、世界屈指のSOボーデン・バレットはキックパスの名手だ。タッチライン際のリーコがバレットのキックに合わせて走り込み、キャッチしてトライというシーンも見られるかもしれない。オールブラックスの名WTBの系譜に名を連ねるトライゲッターを記憶に刻みたい。