関西王者の天理大が、脈々と受け継がれてきたスタイルで初の日本一をつかむ。ラグビーの全国大学選手権は12日、東京・秩父宮で明大との決勝戦が行われる。高校ラグビーで04年度に啓光学園(現常翔啓光学園)を4連覇に導いた天理大OBの記虎敏和(66=現女子パールズ監督)は「昔から走ってボールをつなぐ斬新なスタイルだった」と述懐。関西ラグビー界に多くの名将を輩出した古豪が、頂点へと駆け上がる。

天理大ラグビー部には古い歴史がある。1925年(大14)創部。同大を倒し関西初優勝したのは70年(昭45)のことだ。その翌年に記虎が入部。在学中を含む75年までに3連覇するなど、関西では敵無しの時代に入った。現在は三重県で活動する女子ラグビーのパールズで、東京五輪などに向けた日本代表を育てている記虎はこう述懐する。

「まだ練習中に水を飲んではいけない時代。あの頃から無名の選手ばかりで、80分間走るラグビーを目指していました。毎日、ランパスが1~2時間続く。きつかったです。ただ当時では斬新なラグビーをしていた。走ってボールを動かす。そのために、走力をつけないといけなかった」

昔も今も一流選手は関東なら早慶明、関西なら同大の門をたたく。体も小さく無名ばかりが集まった奈良の雑草は、ただ走るだけでなく「どう勝つか」を考えながら走った。それがFWに固執するだけでなく「走ってつなぐスタイル」につながった。68年度に啓光学園を初めて花園に導き、その後に天理大に移った藤井主計(かずえ)が監督で、記虎が1年時に大西健(現京産大監督)が4年。他校では体罰や暴力が日常茶飯事だった時代に、天理大は異色だった。記虎は言う。

「先輩と後輩の関係はきさくで、きつくはない。いい環境で練習をやっていました。(他大学は)すごく厳しい時代に、ラグビーに打ち込むことができた」

天理大は多くの名将を輩出した。大阪工大高(現常翔学園)監督として日本一に導き01年に他界した荒川博司に藤井、記虎、大西ら大勢いる。天理大の神髄が関西ラグビー界の基盤として息づく。現在、記虎は天理大講師として「スポーツ指導法」の授業を持つ。フッカー島根主将、SH藤原、SO松永らほとんどの部員を指導。伝えるのは「楽しむこと」だ。

「ラグビーはきつい、痛いものではなく楽しいもの。ボールを使った鬼ごっこ。今年のチームは1人の能力だけでなく、まとまりで勝負しているところがいい。可能性を信じています」

ひたむきに走り、ボールをつないで頂点へ。受け継がれてきた神髄を、決勝の舞台で見せる。(敬称略)【取材、構成=益子浩一】